松山英樹さん “ヘイトクライム解決の一助にもなる素晴らしい快挙!
昨年はコロナウイルスと並んで、BLM運動が世界中に燃え広がった年でもあった。
また、昨今は長引くコロナ禍の影響なのか、アメリカやヨーロッパでは、アジア系を標的にするヘイトクライムが急増している。
アジア系の人々は道を歩いているだけで罵倒されたり、暴力をふるわれたり、刃物で切りつけられるなど、事態が深刻化しているというニュースをよく耳にするようになった。
日本人も他人事ではない。
ニューヨークでは、昨年ジャズピアニストの海野雅威さんが暴漢に襲われ重傷を負った。
今年2月にはパリで日本人が硫酸をかけられる被害に遭っている。
この人種差別を撤廃していくために、多くの人々が差別を訴え、様々な活動が行われてきたが、簡単には解決しない。
差別が思想から生み出されているもので、一人ひとりが考えていかなければ撤廃していくことはできない。
アジア系を標的にするヘイトクライムは、解決策を見つけていかなければいけない課題ではあるが、コロナ禍の真っただ中の日本において、優先順位が高い問題と捉える人は少ないだろう。
昨日(4/12)松山英樹さんのアジア人初の快挙“マスターズ優勝”に多くの日本人が歓喜し、世界中で賞賛された。
この快挙が、アジア系を標的にするヘイトクライムの解決の一助になって欲しい。
バンド・エイド (Band Aid) とは
1984年エチオピアで起こった飢餓問題に端に発して、ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツ)が発起人となり、ミッジ・ユーロ(ウルトラ・ボックス)と共に作った曲「Do They Know It's Christmas?」を同年12月3日にリリース。
USAフォー・アフリカ(USA for Africa)
バンド・エイド (Band Aid)の成功に触発されて、アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で、ハリー・べラフォンテの構想をもとに1985年にスタートしたプロジェクト。
プロジェクト名は「 United Support of Artists for Africa」と「United States of America」を合わせて「USA for Africa」と名付けられた。
「We are the world」は、作詞・作曲(マイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチー)、プロデュース(クインシー・ジョーンズ)1985年1月22日にケニー・ロジャースのスタジオで先行レコーディングを行い、翌日デモテープが完成し参加者に送られた。
1985年1月28日の夜『アメリカン・ミュージック・アワード』の直後、45人のアーティストが、ハリウッドのA&Mスタジオに集結した。
授賞式後であったとこもあって、凄い出演者だらけだが、当初、緊張感が少なく、この曲の持つ重要性を忘れ始めていた。
これには激怒したボブ・ゲルドフが、アフリカで起こっている惨状をとうとうと語り出し、話が終わる頃にアーティスト達の目の色は変わっており、中には涙を浮かべている者もいて、特にダイアナ・ロスは、その場に泣き崩れた。
アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」より
1984年10月23日イギリスBBC放送がスクープ報道した“エチオピアの大飢饉”。飢饉は1年以上前から続いていたが,独裁者メンギスツは政治介入を恐れて公表せず事態は悪化していた。
700万もの人がいつ死んでもおかしくない状態というこのニュースに、ハリー・ベラフォンテは強い衝撃を受けた.
スーパー・アーティストのスケジュールをノーギャラで抑えることを、所属のレコード会社に納得させなければならない.
最初にやったのは皆が見るプライムタイムのニュースに、エチオピアの大飢饉のニュースを取り上げてもらうこと。
繰り返しいい時間帯のニュースにかけることで、アメリカ国内の世論を高める。
そうやって,レコード会社をNOと言えないところに追い込んで
『まだ、利益を上げたいですか? それとも、人びとを救いたいですか?』
ライブ・エイド(LIVE AID)
1985年7月13日に行われた20世紀最大のチャリティー・コンサート。
ボブ・ゲルドフが、中心となって開催されることとなり、その呼びかけに賛同した、多くのミュージシャンが、国とジャンルを越えて参加。
「1億人の飢餓を救う」スローガンの下「アフリカ難民救済」が目的。
イギリスはロンドンのウェンブリースタジアムから、アメリカはフィラデルフィアのJFKスタジアムから2大スタジアムを拠点に全世界約170ヶ国に衛星生中継。約15億人が視聴したと言われている。
ボブ・ゲルドフは「ライブ・エイドの目的は金を集めることにある」と明言している。
「より多くの人を呼べれば、より多くの金が集められ、アフリカで生きられる人の数が増える」
という現実的な理由からだ。
こうして、ライブ・エイドは約1億ドル以上を集めたと推定されている。
その後のチャリティー・コンサートは?
チャリティー・コンサートは、目的はそれぞれ別ではあるが、その後も数多く開催されている。
一方、インタネット社会によって、この種のチャリティー活動は
「収益金は実際には本来の目的には使われなかった。」
「主催者側が収益金の一部を手にした。」
といった様々な噂が流れることが多くなった。
噂の真偽のほどは分からないが、それぞれの目的にしている“大きな問題”を多くの人が考える“キッカケ”となることは間違いない。
しかし、目的としている本質的な問題は、チャリティー募金だけで解決することはない。
「善意」と「偽善」の境目はどこなのか?
定義することは難しいが
「善意」とは?
相手のことを深く思いやる心を持ち、自分も相手も成長できる正しい行いを、見返りを期待せず、自然と軽やかに行う
「偽善」とは?
相手にとって全く役に立たず、かえって手間や害になってしまうことを一方的にやってしまうこと
といったところだろう。
私ごときでも、「人の役に立ちたい」「人の為に何かを手伝いたい」と思うことはある。
動機がなんであれ、少しでも誰かの役に立とうとする心を持つこと自体は、決して悪いことではないと思うが、自分自身が認められることに必死で、相手への思いやりに欠如していたのであれば反省しなければならない。
自分が「良かれ」と思って行ったことであっても、相手にとって然程必要なことでなく、“無駄な労力”に終わってしまって、お節介としか思われなかったこともある。
単純な行き違いや、理解不足によって“お節介”だと迷惑がられたとしても、後になって感謝されるようなこともあった。
逆に「素晴らしい善意」と絶賛されたが、その後の「自分を良く見せるためだった」と噂されて、「偽善者」と呼ばれたこともある。
私が取り組める問題なんて小さなことだが
仮に、目の前に飢えている人がいる場合には
最初は「魚」を与えても、「魚の釣り方」を教えてより早く“自立”させることだと考えている。
もちろん、一時的には強い“依存”に応えるが、基本的に無理をしない範囲で、“依存”を適度に避けつつ助ける、といった“距離感”も必要だ。
そうしておかなければ、長い目で見て“良い関係”は続かないからだ。
そして“寄付”などの“お金”が絡む案件は、ボブ・ゲルドフやハリー・べラフォンテでさえ、主旨や目的を理解してもらうために、時間をかけて説明した上で賛同者を増やしているのだから、慎重に対応する必要があるだろう。
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