愛煙者vs嫌煙者 で考える “ざんねんな人々” と 共存する方法
私が大嫌いな2トップは、『いきなり電話』と『タバコ』だ。
“時間泥棒”の最たるモノが、『いきなり電話』 “電話依存症”の人々
“楽しい空間泥棒”の最たるモノが、『タバコ』 “愛煙者”の人々
“時間泥棒”に関しては当該noteに何度も投稿してきたので、今回は『タバコ』“愛煙者”の人々について考察したい
【趣味】とは?
「職業や専門としてではなく、楽しみとして愛好するもの」
「物事の味わいを感じ取る力、好み」
【嗜好】とは?
「常々その物事を好んで親しむこと」
「それぞれの人の好みのこと」
【嗜好品】とは?
「栄養取るためではなく、摂取時の心身の高揚感など、味覚・嗅覚などを楽しむために飲食されるものや喫煙物のこと」
【趣味】と【嗜好】の違いは?
【趣味】は、自分が楽しむために計画的に行動する。同じ【趣味】を持った人が集まると楽しいもの。
私は“音楽鑑賞”が【趣味】だが、他人に迷惑をかけずに、楽しむのならば反対派は少ないと思っている。
当然、自分の【趣味】を他人に押し付けることはしない。
しかし【嗜好】というのは、ちょっと違っていて
どちらかというと
「“無意識”のうちに欲してしまっているもの」だ。
【嗜好品】の代表的なものに、“酒”があるが、私にとっては食事を更に美味しく頂くためには欠かさないモノだ。
【“酒”に飲まれて、酔っぱらって「悪態をついたり」「絡んだり」して他人に迷惑をかけてはいけない】
というのが酒飲みの暗黙のルールだと思っている。
と偉そうに言っているが、若い頃の“酒”を飲み過ぎての失敗は数えきれない。
この“失敗”が教えてくれたことは?
「“失敗”してしまったら、素直に“謝る”こと」
【嗜好品】の代表的な“タバコ”に関して“超嫌煙者”の立場で言わせてもらう。
① 煙や臭いで食事が不味くなる
② 身体中が“タバコ”臭くなってしまって不快
③ 歩行喫煙・ポイ捨ても当たり前のように行う
④ 権利と主張は一丁前
愛煙者にも「嫌煙者に対する言い分」があり、嫌煙者にも「愛煙者に対する言い分」がある。
愛煙者と嫌煙者が共存できる暗黙のルールは
「他人に迷惑をかけない範囲で“タバコ”を楽しむ」
ということだろう。
愛煙者でも嫌煙者でも“ざんねんな人”は、
双方が共存できる“妥協点”を認められずに、自分サイドの偏った「在るべき論」を押し付ける人だ。
何が何でも喫煙行為を絶対悪だと旗を掲げても解決にならない。
共存するための提案や方向性も持つ嫌煙者。
共存するための行動や配慮を持つ愛煙者。
一歩進んだ“心遣い”“思いやり”といった明文化できない“暗黙の空気”しか解決できないだろう。
“自己責任”の世界において、嫌煙者に“配慮”できて行動できる愛煙者が、“愛煙家” と呼ばれるに値し、自ら名乗っていい人だ。
そもそも“嫌煙家”という表現はおかしい。
喫煙行為を絶対悪だと旗を掲げる活動によって“生計を立てている”訳ではないの“嫌煙家”というのは違う。
自分サイドの偏った「在るべき論」を押し付ける“ざんねんな人”を表現するための屈辱的な言葉と認識しよう。
とい偉そうに書いてきたが、
私は“嫌煙家”と名乗れる“ざんねんな人”に限りなく近い“嫌煙者”だ (笑)
コロナ禍において、マスク警察・自粛警察・帰省警察といった自警団が現れ、各地で“小競り合い”が勃発している。
“経済優先派” vs “感染防止優先派”
このバトルにおいても双方の「言い分」がある。
【自粛】 【不要不急】 は個々人によって捉え方が異なる“曖昧”な基準でしかない。
自分の“基準”を他人に押し付けて、自分の優位性を保ったところで何になるのだろうか?
他人に注意するということはエネルギー要する。
“利他の心”とまで言わないが、せめて
「他人が嫌がることをしない。」
「自分の考えを他人に押し付けない」
「他人に迷惑をかけない」
という共存するための言動を自己責任の下で行っていこう。
飲食店も旅行業関係者などの各業界も大変だし、医療従事者はもっと大変だ。
話題にもあがらないだろうがフリーランスだって大変なんだ。
でも愚痴ったってしょうがない(^^)
今自分に出来る最大限の方法を見つけて前に進むしかない。
過去の栄光や成功体験は何の役にも立たないというか、前に進む阻害要因でしかない。
四の五の言わずポジティブに行こうぜ!
ただ、マスク、消毒、手洗いの自己防衛は忘れずに。