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私に影響を与えたアーティストVol.5(Earth, Wind & Fire)~ 【ワールドミュージック】~【BLM】
高校2年生~3年生になる春休みの1979年3月30日、親に黙って長崎から博多の九電記念体育館へ“Earth, Wind & Fire”のライブを観に行った。
(週に1度は必ず行くレコードショップ“FREE”の店長にチケット手配してもらった。)
まさに“Earth, Wind & Fire”マジック・ミラクルショーで、私にとって生まれて初めて観た外国人アーティストのライブだったこともあり、興奮し過ぎたのか、博多への行き返りの交通手段すら全く覚えていない。恐らく電車でいたのだろうが、、、。
今では【私の人生史上最大の“後悔”】となっている、翌月のボブ・マーリー大阪公演は、学校の理由か?チケットが入手できなかったのか?理由は覚えていないが断念した。
当時、長崎で外国人アーティストのライブは“ベンチャーズ”だけ。国内アーティストのライブしか開催されることはなかった。
以前投稿した【 私に影響を与えたアーティストVol.3(ボブ・ディラン)】にも書いたが、高校受験が終わった頃から【ロック】だけでなく 【ブラックミュージック】 R&B・ソウル・ブルース・ファンク・ジャズ・フュージョンにものめり込んでいった。
部活(ラグビー)の練習を終えて帰宅し、夕食が終わると自分の部屋に籠り【至福の音楽鑑賞タイム】に突入。
当然、勉強などしないので、学校の成績は急降下して、テストは赤点ギリギリでなんとか追試を免れているといった状態。
そんな或る日に【“Earth, Wind & Fire”愛】を決定づけたのが、この曲だ。
凄い演奏力、弾けるファンクビート、今でもマイベストソングランキングの上位にいる。
その後の“Earth, Wind & Fire”は、『宇宙のファンタジー』『セプテンバー』といったヒット曲を連発していくのだが、ファンク色は薄れて、ポップ・ソウル色が濃くなっていった。
当時はディスコが大ブームとなって、ローリング・ストーンズ"Miss You"やロッド・スチュアート"Da Ya Think I'm Sexy?”ですらディスコビートを取り上げた作品を発表していた。
“Earth, Wind & Fire”も79年発売「ブギー・ワンダーランド」でディスコビートを取り入れた。
バラード曲「After The Love Has Gone」もヒットした。
私にとって“Earth, Wind & Fire”は、ファンクバンドで、“ディスコ”や“AOR”をやるバンドではなかった。
アルバム「I Am(黙示録)」は失望感の方が大きかった。
しかし“Earth, Wind & Fire”離れになっていた大学入学した頃、この曲によって、また【“Earth, Wind & Fire”愛】が蘇った。
“Earth, Wind & Fire”との出会いは、私に【ブラックミュージック】の世界に導いてくれただけでなく、【アフリカンミュージック】【ワールドミュージック】の世界のドアを開けてくれた。
こんな意味でも“私に影響を与えた偉大なアーティスト”だ。
お気に入りだった【アフリカンミュージック】を2作品紹介する。
今、世界中に広まっているBlack Lives Matter(BLM)の運動。
日本では身の回りに多くの黒人がいないから、実感がなかったり、正しい知識がない故に、話題に出すことすらないかもしれない。
私にとっては「人ごと」では済まされない問題だ。
インターナショナル感覚で、世界中のファッションやカルチャーに接している人は、理解いただけると思うが、改めて人種差別問題について正しい知識を持つべきであり、それが、人種差別根絶へ繋がるはずだ。
こんなことを考えるようになったのも、“Earth, Wind & Fire”との出会いによるものだろう。
コロナ禍の外出自粛生活中に、キッド・クレオール&ザ・ココナッツ (Kid Creole and the Coconuts)のベスト盤をAmazonで購入しヘビーローテーションとなっていた。