スウィング・ミュージックとカーネギー・ホールでの伝説のコンサート
世界恐慌後のアメリカにおいて、ラジオは重要な役割を果たしました。
多くの人々が雇用を失い、貧困に苦しむ中、ラジオは彼らに情報やエンターテインメントを提供し、彼らの心を癒す場所となりました。
政治家や宗教家などのリーダーたちもラジオを利用し、自分たちのメッセージを伝えることもできました。
1930年代初頭には、アメリカの家庭でラジオを所有する人々が急増し、1930年代半ばには、全国の家庭のうち約90%がラジオを所有していたと言われています。
多くの人々が失業し貧困に陥った状況下、聴取者たちに少しでも楽しい時間を過ごすため、ラジオ局は、リズミカルな音楽や、ポピュラー歌手の演奏を放送しました。
その後人々は、ダンスを楽しむようになり、従来のジャズのリズムに加え、ビートを強調することで、踊りやすい、リズミカルな「スウィング・ミュージック」が、広く受け入れられるようになっていきました。
そしてビッグ・バンドと呼ばれる大編成のバンドによって演奏される、より迫力ある音楽が、多くの人を魅了していきました。
<スウィング・ミュージックの主なアーティスト>
ベニー・グッドマン(Benny Goodman)
グレン・ミラー(Glenn Miller)
トミー・ドーシー(Tommy Dorsey)
ハリー・ジェイムス(Harry James)などの白人アーティスト
1936年末:カウント・ベイシーがニューヨークへ進出して「カウント・ベイシー・オーケストラ」を結成。1937年にデッカ・レーベルから発売された『ワン・オクロック・ジャンプ』が大ヒット
「It Don’t Mean a Thing, if It Ain’t Got That Swing」が口癖だったデューク・エリントン
【ベニー・グッドマン(Benny Goodman)】
1932年には自ら楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演しています。
1935年のロサンゼルスの有名なダンスホールである「パロマー・ボールルーム(Palomar Ballroom)」での大成功をきっかけに全米にわたる人気を獲得していきました。
カーネギー・ホールでの伝説のコンサート
1938年12月23日:フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング
ジョン・ハモンドの企画で「フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング」と称されたコンサートが、カーネギー・ホールで開催されました。
当初は【伝説のブルーズマン】ロバート・ジョンソンを探し出し出演させることだったようです。
ロバート・ジョンソンは既に死亡していたことから、黒人ミュージシャンを出演させることにしました。
<出演者>
【ゴスペル】:ミッシェル・クリスチャン・シンガーズ
【ブルース】:ビック・ビル・ブルーンジー、ソニー・テリー
【ニューオリンズ・ジャズ】:シドニー・ベシェ
【カンザス・シティ・ジャズ】:カウント・ベイシー
『ブギ・ウギ』をニューヨークの聴衆が生で聴くのはこれが初めてで、ミード・ルクス・ルイス&アルバート・アモンズ&ピート・ジョンソン3人のブギ・ウギ・ピアニストの共演は最高の盛り上がりとなります。
【ブルーノート・レコード最初の録音】
このコンサートの観客の中で、大変感銘受けたユダヤ系ドイツ人がいました。その人がブルーノート・レコード創業者のアルフレッド・ライオン(Alfred Lion)
彼は、1939年1月6日(コンサートから2週間後)ミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズの2人のピアニストでブルーノート・レコードの最初の録音を行います。
ミード・ルクス・ルイスの「メランコリー/ソリチュード」レコード番号が【BN1】レーベル・デザインは、青白ではなく「黒とピンクのコンビ」
演奏は、スローなブルース
アルバート・アーモンドの【BN2】「ブギ・ウギ・ストンプ」は、ブギ・ウギそのものの演奏を収録