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“不安”は“妄想”に過ぎない “まずやってみる” というシンプルな生き方のススメ

コロナ禍で、世界中で“鬱”や“不安障害”の症状を訴える人が急増している。

急激な環境変化に、体や心がついて行くことが難しなって、徐々に心身ともに不調を感じるようになっていったのだろう。

先行きが見えない不安が続く中の『心の不調』は、感染への過度な不安に伴って、【人とのつながりの遮断と変化】が大きな影響を与えていると私は思っている。

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実は、私も若い頃に“双極性障害”で苦しんだメンターだ(笑)。

当時は、自分というものを理解できていなかったのだろう。

『身の丈もわかっていない、変なプライドだけが高い、自信過剰野郎』だったのだ。


1990年代初旬は「弱みを他人に見せるなんて“サラリーマン失格”」 「心の病=異常者」といったムードもあり、会社では “突っ張って振舞っている” だけで無理に無理を重ねて心身ともに疲れ切っていった。

自分のミスが原因ではあるが、上司や先輩の陰湿なイジメに近い“同調圧力”を勝手に感じて、孤立していき、“従来の自分”を見失っていった気がする。

今まで簡単に出来ていたことが、集中できなくなって時間ばかりかかる。

そして“焦り”が、“自信喪失”に繋がり、あらゆることへの“恐怖感”となっていった。

家族には心配させたくないので、毎日一人で飲んだくれて帰宅して誤魔化していた記憶がある。

朝早く目が覚め 「お願いだから、夜が明けないでくれ!」 と布団に潜っていた。

“鬱”状態から“躁”状態 を繰り返しながら、振れ幅は徐々に小さくなっていって、何となく自分をコントロール(制御)する方法がわかるようになっていった。

「よーし!今年は頑張るぞ!」と張り切っていた時に、上司との“いざこざ”から【懲戒処分】を受けることになった。

まさに “奈落の底に落とされた”。

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『病気して休職』 『懲戒処分で“干される”』といった“前途真っ暗”サラリーマンなんて惨めなもので、蜘蛛の子を散らすように、私の目の前から人が去っていく。

さらに襲い掛かってくる厄介ことは、【事実と全く異なる“噂”の流布】 【まるで犯罪者か?極悪人?と扱われる“誹謗中傷”】だった。

何の仕事も与えられなくて、会議に呼ばれることもなく、会社のメンバーと飲みに行くこともない。

9時から17時まで黙って座っているだけの会社生活が3年続いた。


「言いたい人には言わせておけばいい。“鬱”で苦しんだころより気持ちは“楽”だもん!」

「サラリーマンとして、これ以上落ちるとこもないだろうから、上がることしかない!」

と楽観的に物事を捉えるしかなかった。


唯一の見栄?抵抗?プライド?は?

身なりだけは小綺麗しておきたい。お洒落スーツスタイルに身を包んで出社することだった。

このファッションに関しても、何だかんだと文句を言ってくる上司や同僚もいたが、一切無視して“オレ流”を貫いた。

当然、愛社精神の欠片もない。
上司に媚びを売ることもない。
忖度したりすることもない。

『自分の “夢” “やりたいこと”の実現に向けた準備期間』

と考えることで精神のバランスを保てるようになっていった。

今になって、この当時の経験は、私の人生にとって“大きな意味”を持つ重要な期間だった思えるようになった。

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そもそも「不安」とは何だろうか?

先のことをネガティブに “失敗する” とか “笑われる” とか 考えることだろう。

マイナスの事態を頭の中で想像しているだけだから「妄想」にすぎない。

「不安」に打ちかとうとか、無理にヤル気を駆り立てる必要なんてない。

客観的に“「妄想」に過ぎない”と冷静になって、それ以上の反応をしなければいいだけ。


みんなは起こりもしないことを想像して悩んでいる。 そんなもの 起こってから悩めば良い。

(元日本バレーボール代表:高橋みゆき さんの名言)


目を閉じて見えるものが「妄想」。
目を開いて見ているものが「現実」。

シンプルに “まずやってみる” “全部やって確かめる” ということが重要。

“やってみて”迷惑をかけたら「すみません」「ごめんなさい」と素直に謝ればいい。

教えてもらったり、助けてもらったりしたら「ありがとう」と素直に感謝の意を表せばいい。

「不安」は「妄想」。

「妄想」にとらわれないで、【現実的な楽観主義者】でシンプルに進んでいく。

これからの時代、こんな考えでいいんじゃないかな?

世阿弥の言葉に
『 離見の見 』
というものがある。

演者が自分の演技を“観客の視点から見る”必要性を説いたものだ。

『我見』・・・ 自分の側から相手を見る視点
『離見』・・・ 相手が自分を見る視点

誰しもが、ビジネスシーンやコミュニティにおいて、それぞれの役割・立場での“演者”だ。

他人と関わる世界では、【“素”の自分】でいられることの方が少ないかもしれない。

【“演者”の自分】の “役” に、のめり込んでいってしまうと、【“素”の自分】を見失いがちだ。

『我見』ばかりに偏るのでなく、『離見』ばかり“気にする”のでなく、

人が自分らしく成長していくには、『 自分で自分を冷静に客観的に見る 』 感覚が とても重要。


サラリーマンを辞め、フリーランスになった今、【“素”の自分】でいられる時間だらけなので “気楽” そのものだ。

先の見えないコロナ禍だからこそ、

【 “不安”なんて“妄想”に過ぎない。 “まずやってみる”というシンプルな生き方。】


これがお勧め。


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