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グレフェス昔話【本当に気持ちいフェスマスターとは?】

幾多のグレフェサーが現れては消えていくのを数多く見送ってきた。
2周年からスタートし、ここまでここまで第一線を走り続けてきた筆者だがここ最近ある疑念が生じ始めた。

最近フェスマスターがいうほど気持ちよくないのだ・・・・

スロットを打ってたほうがよほど脳汁があふれる。

今回はグレフェスの黄金時代を振り返えるとともに、なぜそうなってしまったのかを考察してみたいと思う。

とはいってもグレフェス老人による昔語りに過ぎないので、今を生きるキラキラグレフェサー各位は気にせず、己のグレフェス道を邁進してほしい。

薄れゆくフェスマスターの価値


1.強すぎるカードたち


これを明確に意識したのは【BLUES】斑鳩ルカを使ったコメティックを使用し始めたあたりからなのだが、勝つのが当たり前になりすぎてしまって、フェスマスターによる感動がマヒしていくような気がした。

1T限定で全体に興味反転を付与しつつ、興味UPする。あまりに簡単にフェスマスターを量産できるカード。


おびただしいフェスチケの残骸の先にある一筋の栄光だったフェスマスターはいつの間にかその価値を失ってしまったような気がするのだ。

果たしてそれは栄光と呼べるのだろうか?


2.倍率と加点

個人としては以前より喧伝してきた点だが、再度取り上げさせていただく。

4.2の倍率上限と、加点要素による行動の制限

この二つの要素はフェスマスターの醍醐味をかなり損なっているように感じる。

以前は倍率で残留の可否が変わるなんて事はほぼなかった上、倍率の差がそのまま順位に直結していたので、いかにしてフェスマスター(PL)を取るかに皆、血道を上げていた。
最大加点にできないからブラバ、倍率が低いからブラバなんて行動は以前ならありえない行為だったのだ。

GRAD時代から評価値は信じられないほど高くなった。
STEPの本当の罪は倍率上限によるゲーム性の変化だったのかもしれない。



盤面と睨めっこして薄い勝機を掴むゲームから、数をこなしてあたりを引くくじ引きみたいなゲームになったなぁとSTEP世代のグレフェスを眺めているときなどは特にそう思う。

今も昔も皆、必死に残留しているとは思うのだが、その必死の性質はだいぶ変わってしまった。


3.簡単になりすぎたため失われた快感


これが一番大きいと個人的には思っているのだが、ゲームが簡単になりすぎという問題だ。

はっきり言ってただのわがままだし、おかしなことを言っていると自分でも思う。ただ、これは偽らざる本心なのだ。


こいつを見てくれ、こいつをどう思う?

すごく・・・細いです・・・。

これはアプデ以前のアピールメーターであり、2022年から簡単になったものだ。

信じられないだろうが、筆者は当時コレ(通称:針パフェ)を練習するためだけにわざわざipad Proを購入し、ひたすら練習した。
購入から2,3か月後には針パフェの成功率は8割以上になっていたし、その甲斐あって何度も針パフェを通して残留点を出した。

これがまた信じられないくらい気持ちいいのだ。
残留点が出る安堵に加えて土壇場で針パフェを通せる自分の実力に何度だって酔いしれることが出来た。
「俺、シャニマス上手すぎだろ!!」

こんな感じで自画自賛したことのある古のグレフェサーは少なくはないと思う。

そして、これが一番大きい要素な気がするのだがアピール値の予測だ。

現在のグレフェスは視覚的にすでに飛ぶのがわかっているor対面の人気者に賭ける状況しかないため、TA権の確認作業感が強い。(確信歩きという文化もあるので異論は認める)
正直、思い出を撃つ瞬間にドキドキしないのだ。飛ぶのわかってるし‥‥

不安にかられ、火力計算機を何度も叩き、「頼む、届いてくれ」と藁にも縋るような9割の祈りと、自分の育成を信じる1割の自信。

「パーフェクトライブ」の表示を見た時の極限の不安から解き放たれる安堵という名の生の実感。
今思えば、あの信じられないほどの感情の落差が、フェスマスターという異常な快楽物質の源泉だったのかもしれないと、今更ながら思うのだ。

こうして振り返ると、不自由を楽しめるマゾな性質がシャニマスというゲーム性にマッチしていたからこそ、ここまで走ってこれたのだろう。
いつまでグレフェスが存続できるかはわからないが、願わくば最期の瞬間を見届けられるよう願っている。

グレ7から振り落とされて、失意のまま引退ってのも非常に魅力的だと思うので、新たな脅威となるグレフェサーの誕生を心よりお待ちしています。

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