最初に降りを覚える初心者とロードマップ化する麻雀観
最近、Mリーグや雀魂の影響で麻雀を始めた人は多いと思います。僕も2020年頃から麻雀を始めた人間です。現在は麻雀歴が5年ほどになります。主に天鳳とリアル麻雀をしていて、天鳳は7段、雀魂は雀聖2です。今回は、そんな自分がもし初心者だった頃の自分にアドバイスできるとしたら、伝えたいことについて1つ書いていこうと思います。
僕が初心者だった頃の自分に伝えたいこと。それは、ベタ降りを早すぎる段階で完璧にこなそうとしなくていいということです。
なぜそのようなアドバイスをするかというと、「初心者は放銃率の感覚を肌で掴むことがまだできていないから」です。この一言では伝わりにくいので、ここから後半にかけて詳しく書いていきます。
麻雀というゲームを覚えて間もない頃、リーチを受けたときに僕はいつも次のようなことを考えていました。
「麻雀牌がこれだけあるのだから、自分が切った牌がそんなに簡単に当たるわけないじゃん!」
麻雀のルールを覚えたばかりの人は、僕と同じような感想を持った人も多いと思います。それは人間が生きてきた中で、培われてきた感覚の部分がそう思わせるのだと思います。学校のクラスのくじ引きで「これだけ人数がいるんだ、自分がクラス委員になるわけない」と思ったり、コンビニの500円以上購入したら引けるくじで、「C賞以上が当たるわけない」とか思ったりとかしますよね。そして、そう思ったときに実際に当たっていないと、「やっぱりそうだよな」という感想を持ちます。他にも大小あれど、このような経験を通して、その人間のなかで確率に対する感覚が培われていくのだと思います。「10分の1っていう数字は結構当たるんだな」みたいな感じです。
そして、初心者のルールを覚えたばかりの人がベタ降りを徹底してしまうと、「麻雀の確率に関する感覚が放銃で培われる前に中級者になってしまう」という事態が発生してしまいます。これは、「もうこれ以上は押せない」 「危険だけど、まだ押していこう」みたいな感覚が経験によって蓄積されないという話です。
この状態で中級者になるとその打ち手は、押さなければいけない場面でベタ降りしてしまったり、放銃を過度に恐れるプレイヤーになっています。しかも、現代の麻雀初心者のためのYouTubeや戦術書によって降りることに対する価値を再三説かれているばかりに、降りることに対する躊躇がありません。本来は押すかどうかでしっかり悩むべき手なのにも関わらず、「聴牌していないからドラ3のリャンメンイーシャンテンでもベタ降りする」ということを平気でやります。(昔の自分です笑)
これは、麻雀の上達法がロードマップ化された弊害なのだと思います。「リーチ目指して、後手を引いたらベタ降り」みたいなセオリーを戦術書やYouTubeによってだれでも知れるようになったからです。
そんな時代に僕が初心者に伝えたいことは「まず放銃して麻雀というゲームの確率に対する感覚を掴もう」ということです。
麻雀の押し引きは、井戸にロープを垂らして長さを測ることに似ていると思います。井戸の中にロープを垂らして、ロープで正確に長さを測ろうと思ったら、まず全てのロープを垂らしてから、少しずつ引いていって地面に着くか着かないかのギリギリのところを測ると思います。つまり、麻雀だったら押し気味から少しずつ守りに変えていくという方法です。
一方で、最初から底に着かないようにロープをちょびちょび垂らしたらどうでしょう?時間がかかってしまうし、正確に測ることが難しいです。麻雀で言ったら守り→押しに寄っていく方法です。
以上のような、守りから押しに変えていくことの難しさを考えると、初心者は攻めることを先に覚えることをオススメします。