逃げるなや
久々の飲み。
それは自分自信の味方に影響を与える濃い時間だった。
それまで自分は周りの人に対する偏見で生きていた。自分と同じような志を持っていない、特に将来の野望もない人たち。
そのような印象を持っていた。
だが、それは誤りだった。
本当にそうなのは自分自信。
自分自信の不安や間違いを他人に対して、そうであってほしい、そうであるに違いないと偏見を抱いていただけだった。
自分は内省的な性格だから、
自己に対するあたらしい発見に対してワクワクドキドキする。
今日の持った言葉に
怖いから逃げているだけ。その場から早く逃げたい気持ちのまま、今まで過ごしてきた。
という自己に改めて気づいた。
薄々は感じていたが、
そうであると他者から、しかも人生経験の豊富な人から指摘されるのには流石に納得せざるを得ない。
がっかり、萎縮するどころか、むしろ自己を発見できたことに対してワクワクドキドキする自分がいる。
どんなに怒られたとしても、
理論の通った指摘には自分自身を発見する機会があり、楽しいとすら感じる。
だから、特に直さなくてはいけないという意識は強くなく、同じ間違いを改めてしてしまい、怒られることもしばしばだ。
怖いから逃げているだけ。
これは誰にでも当てはまる。
特に今の生活や人生が楽しくないと感じている人は全て、当てはまる。
今楽しくないのは、それは自分自身が逃げているだけだから。
自責の念ではなく、他責の念が生まれるのは、
そういった自分を正当化していまっていふから。
そういった生活をし続けることは楽だ。他責をすることも楽だ。
だけども結果として残るのは後悔以外の何者でもない。怒られない、逃げて楽になる代わりに、楽しみも一緒に捨てていることになるからだ。
最近の自分は特にプライベートにおいては、
そういった意識もあり、楽しくなるようなことは何かと問い続け、自己満足な行動を繰り返してきた。
だが、仕事においてはまだできていない。
逃げることは楽なことだが、
ずっと後悔しか残らない。
逃げずに立ち向かやなければならない。