人生の短さについて
暴君ネロの後見人として長年仕えていたセネカは人生の短さについての考察を以下のようにしている。
人生は短いのではない。我々が人生を短くしているのだ。
これは徒然草を書いた兼好法師も同じように言っている。
セネカは人生を短くしている根本的な要因は「多忙」にあるという。
昔の人が現代と比較してどれくらい忙しかったのかわからないが、今の方がおそらく多忙だろう。
ただ、この多忙も単なる働きすぎなどではなく、人間の「心の多忙」によるものだよいう。
例えば、名声、権力、消費、お金、支配、不安、恐怖などだ。心の平安についてといているのはゼノン、エピクロスといるが、これらに習ってセネカも信条とした。
心の平安を求めるのに、死が近づく年配になってからでは遅い。もっと早くから心の平安をもとめて生活すべきだとといている。
しかし、噂ではセネカ自体も心の平安とは真逆の生活を送っており、自身に言い聞かせることも目的として主張していたのではないかと言われている。
とここまでが今回の読んだ本の一節となっている。
人生の短さ、何を目的とすべきかなどは人類共通の課題だと思う。
セネカをはじめ、心の平安を求めることをゴールとするのも1つの解だ。
もともと日本人にとっては仏教のあり方が近しいように感じる。ただ、この領域までにたどり着くのはかなりの修行が必要だった。
どの考え方でも一定のルールがあるが、
これが現代とマッチした考え方に直せば、
心の平安を求めることにできるかも。
だがたいていの場合、この心の平安の考え方に行き着くまでには、自身が欲望の限り動いて、それでも飽き足らないという経験をしなければ至らない考え方だと個人的には思う。
人間の遺伝子レベルに刻まれている本能的な欲求、これとの戦いになる。