自分探しの旅について
ロビンソンクルーソーの物語のようにどこか違う世界を見てみたいと思っとことがある人は多いのではないだろうか。
なぜ自分でもわからないが、どこかへと行きたいという衝動の中に生きている。
自分の安泰の地位を捨ててでもこのような道を選んでしまう。ロビンソンはそのような男だった。
多分、なれることに飽きてしまうからだろうか。新しいことこそ、刺激がたくさん詰まっているが、それもなれる頃には刺激はない。
むしろ退屈な代物となってしまう。
ロビンソンの場合は、生き方の根本として刺激的な毎日を送りたいというのがあったのではないだろうか。
長期的に利益を考えるというよりかは、
刹那主義者みたいに今、この瞬間を大切に生きたいという感じに近しいように思われる。
これは前回書いたセネカとは正反対の生き方なのかもしれない。心の平安を求めることとは、反対に浮き沈みを含めた刺激的な毎日に身を置くことを正としている。
哲学の考え方はやはりその時代の背景に沿った考え方が多いのか。
セネカの時代は暴君ネロが示すように、終始不安と恐怖との中で生きる生活だった。
ロビンソンにとっては、安定した生活が保障されていたが、本人にとっては物足りなかったのだ。