自分とは何者か?=アイデンティティの未確立
学校の授業でアイデンティティについて学んだことを覚えいる人はどのくらいいるだろうか。
今多くの人が経験するこの悩みは、
ずっと前から変わることのない事実。
自分だけが悩んでいるものでもない。
みんなが経験する悩みだ。
だが、これが行き過ぎると引きこもりや転職を繰り返す、自分探しで留年しまくるというような結果に繋がる。
結論からいうと、
これは自分が悩み抜いたからといって解決できるものではない問題になる。
アイデンティティの確立とは
自分のことを客観的にこういう人間だと認識し、認めることができる状態である。
だが、よく考えてみてほしい。
自分のことを客観的に見ることなど不可能だ。
自分という主観を通してみているからだ。
だから、このアイデンティティの確立というものは他人との関わりの中でしか見つけることができない問題なのである。
自分が好きなことは何か、熱中してきたことは何かと自問自答し続けて、答えらしきものを見つけることはできるかもしれないが、
困難や逆境に陥った時は、本当にこれが自分に合っているのか、真実なのかと考えるようになる。
そしてエンドレスの始まりとなる。
確立する上での通らなければいけない道として、いろいろと試してみること、やってみること、活動し続けることが必要だ。
その中で少しづつ自分に合っているものがわかってくる。
アイデンティティの確立はモラトリアム時期、青年時代にある現象だ。そこでいろいろと活動できれば良いのだが、世の中は変わりつつある。
みんなが大学へ行き、このモラトリアムを延長させ、社会に出て初めて悩む。そして自分は何者かと問い続けながら、将来を不安に考える。
完璧な答えがあるはずだと自己啓発本を読み漁るが、これといった答えは出ない。
そして悩んでいるうちにあっという間に過ぎて、俺の人生は正解だったのか、後悔していることはないなかという考えになる。
どのみち、やってみなければわからないという結論に至るのだから、何も考えずにどんどん一生懸命にやるしかない。
嫌いなことでも好きになる。
そして自然と願望も生まれる。
年齢として遅いということはない。
人によって人生は様々なのだから、比較することは必要ない。
そこも含めて自分を認識できるようになると
アイデンティティの確立に近づいていく。