【小噺】留学編:瓶ジュース
今回の小噺は詩子が短期留学していたときの話。
詩子はアジアのある国に、大学1年生のころに短期で、23歳からは長期で留学したことがある。その国は旧社会主義国。詩子が18歳で初めて訪れたのは1990年代。市場経済が導入されてようやく10年が経とうとしている頃だった。
詩子は理学部で学んでいて、大学でその国のことについて専門的に学んだことはなかった。もちろん言葉も知らない。飛行機で「4週間で学ぶ」シリーズの学習書を読んで、文字と挨拶を覚えた。
本当に長閑な国だった。暖かい日には、若者から年寄りまで外で駄弁ったり、将棋のような遊びをしたりして過ごしていた。基本的に、その国のアミューズメントは会話だった。
路上には色んな物売りがいた。アイスは、冬には段ボールに入ってそのまま売られていたし、飴やたばこはバラで一つずつ売られていた。無線の電話を持った人も多くいた。みな、公衆電話の代わりに使っていたが、未だにあの電話が何だったのかは分からない。とにかくどれも白かったから、「白い電話」と呼ばれていた。通話1分で日本円にして10円。通話ができなくても呼び出すだけで5円取られた。「電気を使ったから」だそうだ。寒い国では充電はすぐに終わる。充電する時間のロスや手間を考えれば納得がいく。
当時その国では、体重計も携帯電話と同様に稀少で高価だった。数百メートルおきに、体重計を持ったおじいさんに出くわす。一回の計測は5円だった。老眼のためか、体重計の針とは違う数字を言われることもしばしばだった。そのほかにも、本屋や靴磨き、果物や木の実も路上で売られていた。長閑だけれどとても生き生きとした町だった。詩子はすぐにこの町が大好きになった。
汗を薄っすらかくほどの、珍しく温かな春の日だった。昼過ぎ、詩子は授業を終えて下宿先に向かっていた。喉が渇いたので、路上で冷蔵庫を出してジュースを売っているおばさんに声をかけた。知っている単語とジェスチャーを駆使して、瓶ジュースを買った。日本円で10円。代金を支払うと栓を開けて渡してくれた。詩子はお礼を言って歩き出した。
10歩も進まないうちに、後ろで大声がした。振り返ると先のおばさんがこちらを向いて叫んでいる。詩子の言語力では理解できなかった。詩子は怖くなった。足を速めた。すると、今度は男性の大声がする。もちろん理解できない。しかも近づいてくる。速足のまま振り向くと、50代くらいの男性が詩子を凝視しながら声を上げて走ってきていた。人は追われれば逃げる。訳などいらない。詩子はジュース瓶の口を掌で塞いで必死で走った。歩道はガタガタで走りにくい。マンホールもしょっちゅう蓋がない。地面と手元に注意しながらがむしゃらに走った。
詩子は油断していた。地面と手元に気を取られていた。気づくと前方に体の大きな初老の女性が道を塞いで立っていた。たちまち捕獲されてしまった。おそらく追い手が「その女を捕まえろ」とでも叫んだのだろう。それで、そこにいた通行人の女性が私を捕まえたのだ。女性は詩子を追い手に引き渡すと、その場を離れていった。追い手の男性は女性に何か言ったあと、詩子に向かって早口でまくし立てた。二人は周りの視線を一手に浴びていた。
詩子の右手はジュースの甘さでベトベトだった。額は汗でビトビトだった。怖くて惨めで涙が出そうだった。詩子は感情をぐっと抑えて、男性に向かって「私は言葉ができません」と言った。不幸というべきか、詩子の発音はとてもきれいだった。語彙も少ないし文法もよくわかっていないのに、発音だけは現地の人のように上手だった。その言葉が男性の癪に障ったようだ。馬鹿にされていると感じたのだろう。顔は赤くなり、目は見開いた。詩子が向こうの言葉で「私は日本人です」と言っても彼の語気は強くなるばかりだった。詩子が困り果てていると、運よく日本語を学んでいる若者が声をかけてくれた。彼の通訳によってようやく、詩子は自分が瓶を返さないことで怒られていることを知った。ジュースは必ずその場で飲み、瓶は売り手に戻してから立ち去らなければならなかったのだ。こればかりは詩子に100%の非があった。
詩子は冷蔵庫の前に戻った。通訳の若者も付いてきてくれた。追い手のおじさんも実はただの通行人だったが、なぜか一緒に戻った。詩子が日本から来たばかりで何も知らず、全く悪気のなかったことを知ると、おばさんもおじさんもニコニコと話しかけてくれた。特に日本のことについて沢山質問してくれた。
詩子はお詫びにおじさんと通訳にジュースを買って渡した。詩子もまた、逃走と会話で乾いた喉を潤すのにもう1本必要だった。今度はちゃんと瓶を返してから帰った。