
231013 kyoto day07
この日も仕事はお休みさせてもらって観光へ(ワーケーションとは一体・・)。
午前中は修学旅行の王道中の王道、金閣寺へ。
金閣寺のやばさは庭にあった

金曜日でしたが、修学旅行生+観光客で大賑わいでした。
修学旅行生が「金箔持って帰りて~~」みたいな安い感想を大声で連呼していたのですが、ぼくも中学の修学旅行で来たときは似たようなもんだったんだろうなと、昔を懐かしく思ったり。
でも今回はですね、わたしもいい年のおっさんになり、仏教だの庭園だのに対して興味を持っておりますので、見るべきポイントが沢山!めっちゃ面白い!!
日本庭園では縁起の良い「鶴亀」を島で配置することがよくある、ということでよく見てみると・・・

「左向きの亀」にみえますよね!
ちゃんとそうなるように石を配置しているそうです。背中の松も立派だ(どうやって手入れしてんだろう・・?)
ちなみに右奥には「右向きの亀」もいます。
金閣の裏手には船着き場があるので(あるんです)、「来る舟」と「行く船」を表現しているようにみえる。何気ない配置が庭に奥行きと物語を作り出している。深い。
なんて、知ったようなふりして書いてますが、ここを参考にしながら見てました。面白いのでぜひご一読ください。

鯉魚石
コイが滝を登る様子、でこういうのを「龍門瀑」というのだそうです。金閣寺は相国寺の塔頭寺院で、禅宗なんですね。建仁寺もそうだけど、禅と言えば龍!と覚えておきます。
ちなみに、この水がずっと流れて行って金閣寺前の池になっています。
さらに歩いていくと立派な茶室がありまして、その前に足利義政が愛用したという手洗い鉢がある。

京都のひとたちも富士山に特別なものを感じていたのだろうか?
ちょっと親近感。
茶室は「夕佳亭」という名前で、小高い場所から金閣寺を眺めることができるそうです。こんなとこでお茶してみたい。
横から夕佳亭を見ると・・・

やっぱり禅宗だからなんですかね、例の○△□ですよ。かっこいいなぁ。
当時の建築家も「この三角の窓枠やべえ」とか思いながらデザインしたんかなぁ・・。サイズもびしっと決まってる。
なんてジロジロ見てたらあっさり1時間経過しておりまして、若干疲れを感じたところにお茶屋さんが。500円でコールド抹茶と和三盆のセット。

暑い日だったので、冷たい抹茶がしみる。
和三盆とのコンビネーションが最強すぎる。ひとくちかじって抹茶をすする。至福。
この抹茶和三盆含め、金閣寺は全体的に洗練されてる感じがありました。金色がギラギラして下品、なんて感じじゃないんですよね。でも北山文化って「派手」みたいなイメージで習いましたよね。当時の派手さも今となっては落ち着いて見えるんですかね。
龍安寺で自分と向き合う
金閣寺を出て、そのまま歩いて龍安寺へ。
龍安寺は臨済宗妙心寺の塔頭寺院。やはり禅宗。ここでも「龍」だ。
おなじみ石庭。京都に来たらだいたい訪れていて、今回で4回目かな・・。

この石庭、「同時に石が全部見えない配置」で有名ですが、配置を分析すると「黄金比」「遠近法」が用いられた現代的なデザインなんだそうです。

この塀みたいな仕掛けがいくつかあり、奥行きを感じられるようになっています。そんな設計思想に思いを馳せつつ、そういう理論的背景を抜きにしても何か伝わってくる、しかも訪れるたびに何か違う、そんな空間ですよね。
昔、この庭の前に座って「これは何を表しているのだろう」とずーっと考えたことがあったのですが、「結局これが何に見えるかは人それぞれ」なのだから「この庭は見る人の心をうつす<鏡>なのではないだろうか」との考えに至ったことがあります。
ならば、「訪れるたびに何か違う」のは当然ですよね。
自分自身のこころの有りようみたいなものを確認するために来ている感じもしました。

石庭から出て、庭をめぐっているとすごい形の松が。

まっすぐ伸びる枝を残して、他はきれいに掃ってあるんですよね。
おおきな盆栽のようで、面白い。これも禅と関係あるんかな・・。
アサギマダラに会いたい
午後は東の方へ移動。
その前にちょっと寄り道。革堂行願寺というお寺です。

清水寺のお坊さんが言ってたんですが、「藤袴」という準絶滅危惧種の花があり、それを大事に育てているかたがお寺に持ってきてくれるんだそうです。そんな藤袴が沢山みられるお祭りが開催されていました。

このピンクの儚い花が藤袴。
なんとアサギマダラがこの藤袴に集まるらしく、もしかして1匹ぐらい来てないかなと思ったんですが、残念、いませんでした。

より。何100キロも「渡り」をする蝶
京セラ美術館
お昼をたべて、京セラ美術館へ。

新旧がうまく合わさった、印象的なファサードですね。
京都には、それこそ平安時代からあるものもあるけど、そこから鎌倉、室町・・戦前・戦後と、さまざまなレイヤーで歴史が積み重なっている。
その「積み重ね」の新しい一例を見せてもらった感じです。
展示は「井田幸昌展」を見ました。

具象も抽象も、なんなら彫刻も。
さっきのレイヤーの話で言うと、井田さんは美術史のさまざまなレイヤーを通貫するように作品を作りまくっている。ひとことで言えば自由に思えるが、逆に「なにをやればいいのか」模索している感じにも見える。
でも、それでいいんだろうなと思う。「音博」のときも思ったけど、あまりコンセプトとか考えすぎず(大事だけど)、好きな事をどんどんやったらいいと思うんですよね。
別室でやっていた「山本雄教:仮想の換金」も見ました。
こっちはコンセプチャルな作品でして、京セラ美術館にある美術品の「想定価格」を算出、それによって作品のサイズを決めて、一円玉を敷き詰めた上に紙を置いてフロッタージュするっていう。

これの元は、竹内栖鳳《絵になる最初》ですが、タイトルは《4050円の女》笑。すべての作品がそんな感じで値段がついている。面白い。
1円玉ごとに色が違うので、ドット絵っぽくて、それも現代的ですよね。日本画らしいんですけど。

これは作者自画像。タイトル忘れたけど・・数えたら《63円の男》ですよね笑 がんばれ山本。ぼくは好きです。