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Vol.101 「ぞうさん」について
各位
(~♪ OP
友人の自称"弥生美人"の影響でnoteを始めました。
基本的には誰が読んでるかなんて気にも留めない、完全なる書き手のオナニーでございます。
日々考えている事や感じた不満、世間への妬み嫉み、つらつらと書き連ねて参ります。
自己紹介はいたしません、
この文章がわたくしの人格でございます。
そんなわけで、記念すべき第1回の議題は
童謡「ぞうさん」についての考察です。
歌詞より
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♪ぞうさん×2 お鼻が長いのね
♪そうよ かあさんも 長いのよ
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上記から読み取れるのは、
まずこの曲の登場人物が2名以上である事。
また、ぞうさんは自身の鼻の特異形状について指摘を受けた際「かあさんも」という表現をすることで、暗にこれが「自身にのみ発現した変異ではないこと」を主張しています。また同時に、この鼻の形状的特異性を「かあさん」へ責任転嫁することにも成功しています。極めて狡猾かつ巧妙に、自身に当たりかけたスポットライトを避けています。
また歌詞冒頭、多様性が遵守されるこのご時世において開口一番、他者の外見的特徴について言及する辺りにも高い異常性が認められます。しかも、単に鼻が長いという事実のみを指摘し「だから〇〇」という部分に全く言及しない点、極めて陰湿な京都人であるか、もしくは極めてデリカシーのない狂人であるかのいずれであると推断できます。
デリカシーゼロの狂人による、開口一番の”見た目イジリ”。一方で、お鼻が長い事を指摘され、その時点でそれがどういうニュアンスを含んでいるものなのかも分からないうちに「かあさん」を引き合いに出し論点をずらす。お鼻が長い事を良くも悪くも”先天的な遺伝である/不可逆的なものである”と先に表明する事で、自身の自主性含めたその一切を予め放棄する自己防衛の妙技。この高度かつ極めて異常な駆け引きを「童謡」としてニッポンの子供たちに口ずさませて良いものなのでしょうか。わたくしはこの事実に気付いた瞬間、天高くから脳天を直撃し背筋へ抜ける、1本の稲妻のように鋭い悪寒が走るとともに、我が国の将来に強い危機感を覚えました。
歌詞改訂版
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♪ぞうさん×2 こんなこと言ってお気を悪くされたらごめんなさい
あなた お鼻が長くて本当に素敵ね(思ってなくても)
♪お気遣い、またお褒めの言葉ありがとう 謹んでお受けいたします
また、この鼻は小生の母からの遺伝でありまして ご先祖様に心から感謝いたします
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まぁ、軽く添削して、現代のコンプライアンスに抵触しない程度となると、こんなところでしょう。
サンボマスターくらい早口でしゃべらないと歌えない、童謡に触れる年頃の子供達にはいささか困難な曲になりました。
新人アナウンサーの練習課題曲として歌わせましょう。
コンプラ、〇〇ハラスメントなど、何かと窮屈な世の中になりましたが
芯を強く持って本日も生き抜いてまいりましょう。
本日は以上です。
ご清読、ありがとうございました。