【自己紹介】5,000字でまとめる今までの僕

はじめまして。
この度は僕の自己紹介noteを開いて頂きありがとうございます。

早速ではありますが、自己紹介にうつらせて頂きます。
目次を除いてピッタリ5,000字ありますので、
通勤、ランチ、酒の肴などにでもしてください。

【自己紹介】

僕の名前は金海載大、「きんかいとしひろ」と読みます。初対面の方に漢字の名前だけ見せてフルネームを読まれたことはまだありません。それくらい難解な読み方です。この機に覚えて頂けたらと思います。



兵庫県三木市(?)の出身でして、兵庫県と言えば...「?」となる方もいるかもしれませんが、「神戸」とお伝えすると「あぁ〜、神戸ね。オシャレだよ〜ね〜神戸。」とよく言われます。



僕の出身である三木市は神戸市の隣の市でして、出身地の話になると「神戸(の隣の三木市って所)ですね」という割合が80%を超えています。
出身を聞かれた時に括弧内は省略していますが、決して嘘をついている訳ではなく、分かりやすいよう伝えているだけですのでご了承下さい。



仕事はMtame株式会社というIT企業でIT企業を専門としたレベニューシェア型のコンサルティングをおこなっています。Mtameは自社でITツールを作って売っています。ツールを拡販させるためにTry&Errorを繰り返しおこなってきたことから、拡販におけるノウハウが非常にあります。それを他のITツールを扱っている会社やシステム会社へそのノウハウごと提供し、CVを最大化させるコンサルティングをやろう!っていうのが僕の所属しているチームです。



具体的な業務内容は、サイト内の内部SEOから中間CVの制作、記事のアウトライン設計、サイト内の導線改善やCV最適化、共催セミナーの調整や展示会出展時のリード獲得の管理まで、CVを獲得するために出来ることは何でもやるって感じですね。最近だとインサイドセールスの立上げとかも社内でやっているため、そこで学んだ苦労や手法を提供したりもしてますね。笑




趣味はゲームです、それも任天堂一筋です。PlayStationは全く出来ません。
特にポケモンが好きでして、毎日カバンにポケモンが入ったゲーム機が入っています。
好きなポケモンはコイルです。コイル可愛いですよね、家に1匹欲しい。
ポケモン以外のゲームだと、スマブラだったりマリオカートだったり、一通り何でもそこそこ出来ます。



ここからは自分の沿革になります。
生まれてから今に至るまでの物語を書こうと思い、
それなりに面白く振り返って書きました、暇つぶしにどうぞ。


【幼少期〜小学生時代】

神戸(の隣の三木市)で長男として生まれ、長男ゆえ幼少期から可愛がられ、教育には力を入れて育てられました。
親の話ですと1歳くらいから英単語の教育「Giraffe」「Alligator」など動物に特化した英単語をまるで動物学者にでもなるのかという勢いで覚えていたり、誕生日プレゼントで頂けるものは知育玩具が多く、毎日ジグソーパズルで遊んでたそうです。



5歳になる頃にはもう九九暗唱くらいまでは出来るようになっており、小学校に入るくらいには割り算くらいまでは軽くこなしていました。(この辺りの記憶は未だにあり、その苦労は決して忘れません。)



僕の両親は僕のことを天才だ、この子の才能は本物だと言わんばかりに色々チャレンジをさせてくれました。ピアノ(10年くらい続けた)、水泳(12年続いた)、進学塾に高いお金を払って通わせてくれたりもありました。



そんな中で1番得意としていた勉強で他の地域の子供達と関わる機会を持った僕が感じたこととして、「僕は天才ではない」ということでした。自分と同じことを聞き、同じことをやってるのに理解度が全く違う。簡単に言えばテストの点が良過ぎる。これを悟ったのが10歳頃。しかし両親は自分に勉強量が不足している、やれば出来る子なんだからと言い、僕は平日は必ず3時間以上、週末は9〜22時くらいまで家から1時間半くらいかかる進学塾で勉強してました。ひたすら机に向かうあの様子、きっとあれが人生で1番勉強していたピークです。TVも見てないので当時のドラマの話(花男とかごくせん)には全くついていけません。笑



私立に受験させ、更に勉強出来る環境に入れてあげたいという親の願いも叶い、中学からは神戸市にある某私学になんとか入学することが出来ました。

【中学〜高校時代】

僕の入学した中学は中高一貫の進学校で、高校卒業までは特に何もせずに卒業出来る学校でした。それもあって僕の中での勉強のピークはここで止まります。高校受験後や大学受験後からよくある「燃え尽き症候群」ですね。全く勉強しなくなりました。笑


中学1年生の最初のテストで赤点叩いて学校に親呼び出されたり、人に迷惑かけてまた呼び出されたりと今思えば「めっちゃ悪いことしてる訳じゃないしょうもないヤツ」でしたね。笑


学園祭の模擬店を出店し、2日で20万円稼いで、
歴代1位の売上を叩き出したくらいが良い思い出でしょうか。
大学編に進みます。

【大学時代】

大学には指定校推薦で経済学部に入学しました。私学です。
両親は僕が国公立に行くと思っていたらしく、中学校から私立に行っていた僕は最後までお金がかかる子だったと今も言っています。


僕が入った大学はマグロが有名な大学と言えば皆分かるのではないでしょうか。特に努力もせず、高校でいつもやるテストをそこそこの点数を取り、サラッと面接をして入学しました。
そして大学に入学してからはついに神戸(の隣の三木市)から飛び出し、一人暮らしを3年半ほどやっていました。


こういうnoteを書く人って昔からやれ起業したとか学生団体を立ち上げた〜とか意識高そうなことをしていると僕は思っているのですが、僕は至って普通の大学生でした。


人と違っていたところを強いてあげるとすると、「ノリと勢い」だけはすごかったと思います。(頭悪そうですねこの言葉)
背が高いからきっとバスケットボールくらいすぐ出来るしきっとモテるという理由でバスケットボールのサークルに入って4年間バスケットボールし続けたり、友人と海外旅行に行きたいと話になれば、その場で行き先と宿など全て決めて翌日から飛行機乗って旅に出るなど、ノリと勢いだけで生きていました。


ノリと勢い精神で生きていた僕は就職活動においてもそれを発揮し、IT関係の業界を就職ナビ媒体で絞り込み、ア行から順に名前だけで見ていき、業務内容は特に見ず名前に惹かれた会社にエントリーし、今の会社に内定を頂きました。

【大学卒業〜社会人】

大学をしっかり4年で卒業し、ノリと勢いで決めた会社は東京が本社で、神戸(の隣の三木市)からついに東京進出、俗に言うシティボーイになった僕に待ち受けていた業務はGoogle Adwords(今はGoogle Ads)とMAツールのセット販売の新規営業でした、テレアポで。←


このご時世、まずテレアポという営業手法がまだあったのか、こんなん高校通ってた時に見たヤバいドラマの1シーンでしか見たことないぞ、と思いながら仕事してたのを覚えています。


入社した会社は電子カタログや、ARのアプリを提供している企業だというのを内定承諾後に知り、とりあえず事前知識付けるために卒業論文は電子カタログについて色々書くかと思って調べてある程度知識を深めたつもりだったのですが、電子カタログの販売する部署には配属されずGoogle広告を電話で営業するというIT企業らしからぬ社会人スタートを始めました。


MAツールがまだ世に新しく珍しいこともあり、新卒の拙い知識を聞いてくれる人はいましたが電話で「とりあえず資料を〜」「今検討していなくて〜」とか色々言われましたが、今となっては大したことないテレアポのアウトにしか聞こえません。テレアポのアウト返しをロープレするために朝早くに出社したり、電話かけるためのリストを土日で作ったりと、よくこの時点で辞めなかったな会社と思ってます。辞めて何もしたいことも特になかったのが辞めなかった1番の理由ですかね。


こんなゴリゴリの営業会社でTOP営業マンになれば、どこでだって生きていけるだろう、そしてTOP営業マンになるにはそこらへんの人なんて相手にしてられないと思い、同期に入社した意気込みをそれぞれ語るスピーチの場で「同期は全く相手にしていません。全営業の中でNo.1になります。」と言いきり、すごく現場が険悪になったのを覚えています。
それ以降同期や近い先輩は見ずにひたすらTOPプレイヤーの背中を追って営業していました。


入社して気付いたら1年が経過し、入社1年目の結果は新卒で営業成績2位でした。弊社では当時役職別で営業成績が良かった上位3名には表彰と金銀銅の楯が貰えたのですが、僕は2位ですので銀の楯、金海なのに銀。悔し過ぎてまだ受け取ってから1度も開けていません。あれだけ大口叩いて啖呵切ったのに同期にすら負けてしまうこの始末...絶対に金の楯を貰ってやるという反骨精神が生まれた1年目の結果でした。


2年目以降も営業部に所属し、販売する商材のメインがGoogle広告から自社CMSを用いたWebの制作になりました。当時プルリードがほとんどなかった僕に残されていた手段はいつもやってたテレアポしかありませんでしたが、1年目にやっていたあの過酷な時期に顧客の検討時期や検討具合、何にニーズがあるのかなど細かく管理していたため、基本的にはそれを確認しつつ、定期連絡的な感じで電話し、訪問のアポに繋げていました。テレアポでのリードナーチャリングは時間こそかかりましたが、安定はしていたのである程度成功していたんじゃないかと思います。


転機が訪れたのは入社して2年目の12月頃。代表に呼び出され今後どういったことをしていきたいのか、そのために何をしたらいいのかなど話す機会がありました。その時の僕が言ったことは非常に短絡的で、「新規のテレアポはしたくない」「給料を上げたい」でした。
代表は部門少し考えた後に、「金海はセミナー講師でもやってみたらいいんじゃない?向いてそうだし。」と一言。
当時弊社でのセミナー講師は経歴が長い営業部でない人達が無料相談をお客様から頂き営業部にリードを供給するもので、若手社員はおろか中堅社員ですら登壇している人はいませんでした。
セミナー講師を薦められた際に脳内ですぐさま考えました。

・お客様は何かしら困っていてきている=ニーズは何かしらある
・無料相談さえ獲得できたらリードに困らない=テレアポしなくて済む
・社内で他に誰もやっていない=自分だけの武器になる

代表に返答した内容は「やります、ただ人事考課で最大評価をもらうには何回登壇したらいいですか?(←月給を上げるための内容)」


ここで代表とセミナー登壇回数でのFIXを取り、
僕のセミナー講師としての仕事がスタートしました。


そこから何回も何回も登壇し、お越し頂いた企業様から相談を頂ける回数が増え、僕はテレアポをすることなくリードを獲得し、契約を頂けることが定着してきました。



2年目が終わる頃には、グループ会社含め全社で5番目くらいの営業成績になっていましたが、まだ納得はしていませんでした。何故なら1番じゃないから。



営業も3年目に入り、セミナー登壇回数もそれなりにこなして慣れてきたこともあり、セミナーにお越し頂いた大手のクライアント様から大きい契約を頂くことが重なってきました。もちろん売上も多く、一気に売上を持ってこれるエース格の営業マンになりました。
特にしていることは変わってなかったため、いつの間にか・・・って印象です。


そして入社して4年目の現在、先述したような自分の中では新しい業務をおこなっています。
デジタルマーケティングを提案する際に培った手法を実際に自分でこなし、ユーザーのCVを最大化させる。非常にやりがいのある仕事だと思っています。


【これから】

同時に新しいことを始めたのがTwitterです(今更ですが...)
目的としてはビジネスパーソンとの接点を多くしたいことと、自身の市場価値向上です。
noteもTwitterを加速するためのイチ手段として活用していきたいと考えています。



この自己紹介に関しても追記・修正していきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。


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