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Xデザイン学校 京都フィールドワーク2024

昨年も参加した京都フィールドワーク

今年の参加はどうしようかと迷っていると、社内に昨年のXデザイン学校ベーシックのクラスメイトが同僚で誘ってくれた上に、今回の講師である安藤昌也先生の、事前に出た「こんな内容にしようかと考えています」のYouTubeを見て興味が湧いてきて、行くことに決めた。

社内の同じ部署に参加者がいるという状態は、大きな相乗効果を生んだ。
安藤先生の課題は1回聞いただけではわからなかった。
それは「こういうことなんじゃないか?」と如何様にも考えさせられること、そしてそれを同僚とあーだこーだ言いながら互いに「なるほど」と思い、そしてさらに帰宅時の電車でも繰り広げるほどになっていた。
おかげでじっくり安藤先生に染まっていき、フィールドワーク(以下:FW)の時は少し身近な存在になったような気持ちにまでなっていた。

今回も自分の備忘録中心で読み手のことをあまり考えていませんが、書いていこうと思います。(すみません、10000字超えてました。。)


お題の妄想から、10/5(土)のイントロワークショップを含めた前日まで

今回のお題はこんな感じでした。

京都に刷り込まれた歴史をもとに 昔の都人が感じていたことが伝わる「古を感じる旅の経典」を作成してください。

copyright:Masaya Ando 課題の資料より引用

「きょ、経典。。。?🤔 言葉の意味から知らねばならないな。。」

安藤先生がYouTubeで構想を紹介していると知り拝見すると、私はこのYouTubeで初めて先生が僧侶である事実を知る。
この動画に出てきた「カミヒラ先生」というワードも含め検索すると、安藤先生がインタビューを受けているspotifyに辿り着き、僧侶への道筋を知るという安藤先生のリサーチが始まった。 ここから冒頭に書いた通り、「どういうことだ??」「なるほど…」の話し合いを重ねていく。

また、歴史が苦手な私は、例題として出していただいた鳥辺野のあたりを調べたり、改めて歴史年表を見たり、はたまた仏教の系譜を見たり(笑 そこまでしなくてよかった)。。。

色々考えてみたが、でもやはり「経典」を示すものが、どうしても端的に「ガイドブック」になってしまう。
それとはどう違うんだ?🤔 例に出してもらった絵的なものって??
どういう心持ちで「経典」なるものを作って良いのかがわからないまま、1週間前のイントロワークショップに。

10/5、ワークショップ中に4象限を用いてチーム分けがされた。
京都の土地認知度と歴史知識度で皆ポイントに置いたところで、先生が偏りを減らすよう満遍なく分けてくださった。
先生から前提的な共有とFWテーマが説明されたが、先生が僧侶である仏教をベースにした「感じ方を伝える・再現するデザイン」の仕組みというか構造がとても興味深い。YouTubeでも何度か話されているが、人の行動心理の根底部分を図式化していくとこうなるんだなと納得できる。

以下のフォーマットを使ってワークを行う。

copyright:Masaya Ando YouTube配信でも説明されていた

経典、修行、芸術・荘厳の3つを作ることが今回のお題。

それらを踏まえチームで取り組む内容を考える。
私たちは現在目に見えるわかりやすい京都の文化よりも、見えていない・街の中に溶け込んでいる「京都らしさ」を探っていきたいという方向性で一致した。

京都は応仁の乱で一度焼け野原になり、そこから再生していった街でもある。権力闘争に巻き込まれた町人たちは、守護が地方に逃げてしまい荒れてしまったこの土地に、自分たちで守る町衆を築き上げていった。そんな人たちの拠り所であったり、今も受け継いでいるものがあるんじゃないかとか考えていった結果、「神社と門前菓子を巡りながら、庶民にとってのお菓子を体感する」に行き着いた。

お砂糖がない時代(お砂糖の普及は江戸中期以降)だし、現在みたいに情報がない時代だったはずで。心の拠り所にしていた神社とそれにまつわる食べ物や史実、FWまでの間に他にないかちょっと探してみたものの、そんなに多くはないこともあって、若干不安が。。

土曜日はFWから始まるため、各チームで集合時間設定(FW開始)するパターンだった。当日早朝に移動すれば間に合うかもだったが、私は朝早いのが苦手なので、前夜から京都に乗り込んで、京都のお友だちと昨年のFW以来の再会(アイリッシュパブ)で京都に体を慣らしておいた(?)。

ケルトも聴けて十分楽しんでしまい、ホテル帰宅が午前様になってしまった。。
(2杯目は軽めにハイネケン、 初めて美味しいFish&Chipsを食べることができた!😭)

10/12(土)
京都FW初日(市内を各チームでFW活動)

1番目:上御霊神社

烏丸線鞍馬口駅に10時集合。

4人で「初めまして」のご挨拶をして徒歩5分もしないうちに、目的地の上御霊神社に到着。烏丸通から東へ入った住宅街の真ん中にある。(近くに尾形光琳の邸跡の石碑あり)

神社を五感を使って感じる作業※を行う。

※今回のフォーマットでいうところの「修行」の部分は体験するためのコース、この体験の感覚を「芸術・荘厳」の部分へ視覚的に落とし込む。「芸術・荘厳」を見る・感じるなどしてから「修行」を行うことでより一層「経典」に近づくことができる。。という。。(合ってるかなこの説明。。)

神社は大きくなかったこともあり、1周ぐるっと回ってから参拝した。

左:正門前。 
右:本殿。地元の人らしき方々が慣れた所作で挨拶するように参拝する姿が印象的だった。

観光スポットではないのもあって、静かな感じ。
複数人で掃除をされていて美観が保たれている。
コンスタントにポツポツと人がやってくるのは、きっとご近所さんや、習慣にしている人なのだろう。参拝を慣れた感じでささっと行い、帰っていく様子が見られた。
小さいながらも全国の主要な神社巡りができるように八幡宮であったり、このあと行く予定の今宮神社さえある。たくさんの社と関係があるのはきっと古くからある神社である証なのかもと思った。

左:立派な舞台。 右:応仁の乱の発端について説明する看板。

と、静かに五感を研ぎ澄ましているようだが、現実はちょっと違った。
ここ数日の暑さで、10月なのに境内は(場所によって)蚊が多かった。
蚊に怯えながらの参拝は、落ち着かなかった。(修行部分には「夏期は虫除け持参」を忘れずに書こう)

神社のかたに立派なクロマツの話(明治天皇の妹様誕生のお祝いにへその緒と一緒に植栽)を聞いたりしてここを後にし、正面鳥居目の前のお菓子屋さんへ。

水田玉雲堂(唐板)

唐板を購入がてらお話を伺うことにした。

店内にモノクロ写真があったので、そこを糸口に話が進む。
おかみさんが私たち4人がゾロゾロ入店したこともあって「ゼミですか?」と話を振ってくださったことで私たちも質問しやすくなり、たくさんお話しいただけた。15分くらい喋ってくださった。

左:唐板のお店が境内にあった頃の様子。(昭和17年に外に移した)
右:唐板のおかみさんが話してくださった様子を描いてみました。雰囲気程度ですが。

私たちのテーマが「庶民にとってのお菓子」だったので、主流の文化とは違い民俗学的な要素があったため、ある意味生き字引的な人の存在が要だったが、ここのおかみさんはまさにそうだった。

インタビューの起こしがページの最下段にあります。素敵なお話しでした。

要約は、かつて情報のない時代は医療もなく、生きることが精一杯だったので、見えない・わからないものに怯えながら生きていく中で、神様にお力添えしていただくという願いであったり、無事に過ごせることに感謝であったりを参拝で伝え、また、神社を通してご近所さんと繋がりがあった。
「神社行ってきたよ」「七五三のお祝いです」「結婚しました」といった人生の節目で神様にもご近所さんにもご挨拶したり、されたりといった形で、氏神と氏子の関係が普通にあって、そのご近所さんご挨拶の際にお菓子がそのお裾分けであったりほっこりするような存在だった。

また、かつては今のように繁華街もなく、氏神様のお祭りであったり、その付近で定期的な市が立つ時が唯一の遊びや楽しみで、神社が生活の中にいつもあった。氏神さんのエリアは、北は上賀茂、西は今宮、真ん中はこの上御霊神社で範囲は御所の半分くらいまでのエリア。それくらいしかなかったからこそ、お祭りが今のように頻繁にあったわけではなかった。楽しみとして、近い存在として神社があったと。

お話を聞いた後、店先で早速唐板を味わう。

左:お店(水田玉雲堂)は神社目の前。 右:店先で唐板を開封(これは非売品)

見た目よりバリッとしている感じで、そのクリスピーさがクセになりそうだった。持ち帰りに気をつけてくださいね、と言ってた女将さんの言葉が頷ける。味はとてもシンプルで小麦粉とお砂糖の味のみといった感じだった。なるほどこれはお茶請けに良いお菓子だった。

下鴨神社へ移動。
途中自分が住んでいた部屋を横目で見ながら加茂川(出雲路橋)を越えていく。ゆっくり歩いて20分程度で到着。

2番目:下鴨神社

ここの門前菓子は「みたらし団子」が有名だったが、このお店は約100年前に創業されたお店だったこともあり、その場の判断でみたらし団子ではなく境内の申餅に変更。
(※直前変更できちんと調べてなかったのですが、店は100年前でも、由来は平安時代の氏子のお供えから由来しているので、それでも良かったかもと今は思える。…っていうか単に食べたかっただけなのかもしれない(笑)

ここは先ほどの神社とはうって変わって観光客がいっぱい。
私自身も卒業後に上賀茂神社とセットで3、4回は来ているが、高確率で結婚式の場面に立ち会える。
ここは小川も流れていて森が美しいし、駅からのアクセスもいい。(いい意味で)神社のテーマパーク的な存在だ。
アトラクションが多いのにも関わらず清潔に保たれている。

この下鴨神社の起源を調べて改めて驚いた。
最古の記録が紀元前の時代に修繕でとして残っているので、それ以前から存在という意味では都人以上に古代人まで関わってきそうな場所のようだ。

左:御手洗川で水占い。 右:象徴的な「楼門」

そんな素敵な神社であるから、とにかく至る所が混んでいる。
話を聞けるような人を探したが難しく、神社の方はどなたも忙しい様子が見て取れたので、お菓子をいただくことに。

下鴨神社 さるや

140年ぶりに復元された申餅だそうで。

左:さる餅のお餅は小豆の茹で汁の色。 右:本殿から南に伸びる広く気持ちのいい参道

明治の法今制度化までの葵祭りでは、祭りの中日に小豆の茹で汁ついたお餅が神前に御供された。ほんのりと“はねず色“のこのお餅を都人は「葵祭りの申餅」と呼んでいたらしい。食べることで体を清め、元気の気(け)をいただいて、無病息災を祈るとのこと。
故事にならい復活したと説明を読んだ。

お祭りの時にいただく気持ちで食べてみる。
葵祭、5月だな、春先の気持ちいい時期だな、切ない祈りというよりは、よかったねとか希望に満ちている感じが近いかなと。
ピンポン玉くらいの薄い小豆色のまん丸おもち。
今でこそしっかり甘いが、かつてはどんな味だったんだろう?お塩?豆のほのかな甘味?など想像したり。
下鴨神社の森の涼しい空気を感じながら、森にいる鳥の囀り、少し離れた参道を歩く観光客の砂利の音、そして温かいほうじ茶をすする。
ゆったりとした時間と空間で、ほっこりした気持ちになれた。

近くの出町柳でお昼を済ませ、今宮神社へは205番のバスで行くのが便利だった。
天気の良い昼下がりの京都、土曜日なのでバスはとても混んでおり、話しながらというわけにはいかないほどだった。

3番目:今宮神社

205番のバスでの最寄りのバス停は、船岡山の北側だった。
大きい鳥居が参道幅いっぱいで、両側の家に迫るくらい道路目一杯にあった。この鳥居がある通りは「今宮門前通り」(写真左側)。

左:電線が鳥居の隙間をぬって通っている。(鳥居の奥、小さいが赤く見えるのが神社の入り口)
右:今宮神社の解説

この参道の途中、西側に高校があるため、多くの高校生とすれ違った。
道路東側は大徳寺の塀が長く続いていた。
今宮神社の門が近くなったあたりから、あぶり餅の香ばしい香りがする。

正面門から入る。
観光客もいるが、地元の人らしき人もちらほら。七五三のお参りだったり、観光の人もいる感じだった。賑わい・活気がある感じの神社。

左:蝋燭立て。 右:その蝋燭立ての裏側の端に…

蝋燭立ての裏側にこんなもの(上記の右側)があった。
たまに来て祈るんじゃなくて毎日行えば神様は見てくれているよ、とでも言っているのだろうか。要は日々の積み重ねが大事ですということを言いたいのだろうか。
この大きさといい、位置といい、もしかして別のところにあって移設したのだろうか?といろいろ謎だった。

この神社も多くの他の神社のお参りができるようにいっぱい社がある。
西側が地形的に高くなっていて木々が生い茂って守られている感があった。御神木のような大きな木もあり、長くこの地にある感じがよくわかる。あと、多くの氏子さんたちに支えられている様子がこれを見てよくわかった。

氏子さんたちが奉納した金額ごとに名前の札が並べられている。西陣の地域なので繊維関連の名前も見受けられたが、ほとんどが個人名。そしてこの多さ!

ここには見えないが筆頭は確か個人名で八十万で、30万、20万といった方の奉納者名が並ぶが、この一帯が西陣にあるためか、繊維関係の会社の名前もわかった。
一通り拝観したところで、さっきからずっと気になっているいい匂いのあぶり餅を食べにいくことに。

あぶり餅 一和(一文字屋 和輔)

神社東側の参道の両側にあぶり餅のお店(2軒ある)。
調べてみると「元祖」と「本家」なんだそうな。
私たちが並んだのは「元祖」の方の一文字屋 和輔さん。ちなみにどちらも同じくらいの盛況ぶり(10人以上が外に行列)だった。

風向きの関係で、軒先で炙る煙が客列を覆うので待ち遠しくなる。
炙っている様子が見えたが、結構おこげがついている。そんなに焦げて苦くならないだろうか?と心配したくらい焦げているのもあった。あぶるっていうか一部燃えているように見えたくらい。

左:月読社から登ってきた階段を振り返る
右:Wikiによると「いち和(一和)」は、通称とのこと。 

4人で何人前頼むかで迷ったが、一人前で11本らしく、1皿だけ注文。

案内され着席し、テーブルのお茶をいただく。
待っている間は家の中に植っている松が真横にあったのでそれをみたり、中庭を見たり、話に興じる。
着席5分ぐらいで熱々のあぶり餅が来た。

甘くて香ばしい香り、きな粉付きの甘味噌だれは見た目ほど濃い味ではなく、お餅の大きさとバランスが取れた甘さだった。
餅が硬くなるので5分以内にお召し上がりくださいとのことで、一人当たり2本は食べれる計算。
小ぶりなお餅、4人で早々に食べ終わり、なるほど美味しいねという一同の感想。5分近く経ったものを食べてみたが、硬くなって風味が少なくなる。熱いうちに食べきるのがいいようだ。
小腹が空いてたら、一人前の11本はぺろっと食べれそうな印象。
まわりのお客さんも和やかな一服といった雰囲気で、各テーブルにあるおばん茶の急須、湯呑みが昔ながらの形で、懐かしい空間にいるような気持ちになれた。

左:届いたばかりのあぶり餅にピントが合っていない。
右:これまたピントが合っていない。結構焦げがあるが、苦味はなくむしろ香ばしくて美味しい。

ここを後にする際に、チームメイトがあぶり餅を作っていた軒先で、おかみさんだろうか、話を聞くことができた。ここでもいいお話が聞けた。

由来としては、今宮神社以前に古い疫病の神様を祀るほどこの地には長きにわたって歴史がある。
上御霊と同じように医療も発達していない時代のため、目に見えない存在や祟り・呪いを信じられてきた時代だからこそ、氏子たちは奉納という形で鎮めるためその供物としてお餅があった。お供物としての役目を終えた餅をみんなで分け合うことが「神様のお裾分け」としていただくことから始まったようだ。お餅をいただくこと自体が祈りだったとも言えるかもしれない。

このあと、近くのショッピングモールでラップアップをする。
情報を集めてきたものの、この時点ではまだ最終形がどうなるかわかっていなかった。その手前の整理がやっとだった。

夕方は懇親会に参加し、今回の参加者の多くの方々にお会いして楽しんだ。
主催の先生と2次会におばんざい屋さんに連れて行ってもらい、夜まで楽しかった。

10/13(日)2日目
FWをまとめ、提案を作成・発表

朝は昨日もお世話になった烏丸御池近くのACE HOTELにある「STUMP TOWN」へお邪魔する。

左:ACE HOTEL入口。 右:「STUMP TOWN」ホテルロビー兼カフェテリアの風景

ホテルの1階に併設していて、宿泊客の利用が多いが、ホテルのロビーを兼ねたテーブルやソファを利用できるので、ゆったりとしているのがいい。
ここから会場までは徒歩10分くらいで到着。

9:30 セミナールーム

安藤先生から今日のスケジュールと進め方の説明をいただく。

昨晩の懇親会で先生と同席した際に、どなたかが課題の質問をされていて答えてくださったのが「UXデザインは量産できるもの」をいうワードをいただいて、「そうか!この心構えで作ればいいんだ!」ってスッキリできた。その説明を再度丁寧に聞けた。

copyright:Masaya Ando

UXは、体験はもともと個人的な、内的なものです。
それを、ただ単に「何かができる」っていうレベルを超えて「感じる」っていうところまで介入できないかという問いをやっています。
体では感じているけど、それを改めて(それを示した)絵などの視覚化されたもので見ると「なるほどね!」という感じを得られるし、人と共有できる。これを仏教的メディアを応用した経典に落とし込みます。

どんな体験をしてもらうかの計画をしますが、産業デザインとしてUXデザインは「作り手」と「使い手」という分離した関係で、資本経済、産業分野の考え方。UXDは体験が量産・再生産される製品・サービスと仕組みができていることである。だから「量産できる」ということを考えたい。
自分が考えるサービスデザインというものは、そのサービス・品質を維持する組織的側面が計画されているものだと思っています。

安藤先生の課題説明より

「今日作ったものが、誰でも同じように再現できなければ意味がない」

なるほど。そこを目標に取り組み始める。
用意いただいた模造紙にジャーニーマップのようなものを作っていく。
「ようなもの」というのは項目として感じたことを五感でわけ、なおかつ知識的に思ったこと、感覚的に思ったことはさらに分け、それら7項目を時間軸で作っていった。

私たちAチームのカスタマージャーニーマップ。これを理想的な形にする。

7項目に分けるほどあるかなと思いましたが、それなりに情報があるものなんだなと思える量になった。

抽出するとこんな感じにまとまった。

ペルソナを作って、それをアクティングアウトする必要があるので、私たちの情報から創り出した人はこんな感じ。

私たちAチームのペルソナ

ここまで作ったら、発表のためのアクティングのシナリオ、経典内容、芸術荘厳の感じることを増幅させるような装置を手分けする。
増幅装置を考えたが、私たちが伝えたいという思いがなんとなく優ってしまって、イメージ的なものというよりは具体的なストーリーになってしまった。そう、完全に腑に落ちたわけではない。でも今私たちにできる精一杯がこれだという気持ち。もう時間が迫っていた😭

アクティングアウトのシナリオ(順序は前後してますが)。

講評は「感じ方のイメージが直接的だったかな」「お菓子の味をチャートにして分類とかもよかったかも」「せっかく他の場所に行ったので、そこも混ぜてもよかったのでは?(今宮神社ベースでのアクトだった)」「書いてあることをそう思わせるようなセッションのようなものとか?」などご意見いただけた。
なるほど〜!いただいたご意見でさらに考えてみたいなと思いました。

他チームも興味深いものばかりで、テーマが「お出汁」だったり、「豊臣秀吉の大仏とその痕跡」や「鴨長明の生き様をめぐる」だったりして、掘り下げ方が皆、あの期間でここまで!というくらいすごかった。

あっという間の楽しい2日間でした!参加してよかったです。

10/14(祝)3日目
(自由参加)京都の水の歴史を自転車で巡る

2日間は安藤先生の講義でしたが、この3日目は主催してくださった浅野先生のエクスカーションに参加して最後まで京都を味わい尽くしました。

写真でハイライトのご紹介。

梨木神社にて。京都はいたる場所に萩があって綺麗。ここで湧き水を汲みました。
自転車で巡りましたが、サイクリング日和で気持ちがいい!
お出汁グループに触発されて、お昼は松ヶ崎浄水場近くでおうどんを食べる。
琵琶湖疏水沿いを走ると、付近にはお店や猫や。。
南禅寺到着。
南禅寺といえば、水路閣。立派な作りです。
左:琵琶湖と京都をつなぐ疏水のトンネルで、クルーズできるとのこと。真っ暗では・・・?
右:東山の白川にかかる一本橋。人一人分の幅ですが風情あります。

鴨川以外にも細い川があるのは知っていたが、湧き水が多いのは知らなかった。綺麗な水があちこちにあって、だからこそ繊細な味に敏感な場所なのかもしれないと思った。
あと、水のある景色は風情や景観が良いものです。絵になります。


勉強しにきたつもりでしたが、そういう感覚が少なく感じたのはなぜだろう?楽しく没頭できたということなのかもしれません。
3日間楽しかったです。ありがとうございました!



水田玉雲堂(唐板)でのお話

…戦争が激しくなってきた時に(お店は境内から外へ)移ってきたんですけどね。それまでは境内でお茶飲んだり(写真見せながら)ここにも将棋だして、冬だったら火鉢を出して、お茶と焼きたての唐板っていうそんなんだったと思いますよ。
(質問)焼きたてだと風味違いますか?
私はね、焼きたてしか食べてない(笑)いつも「これでいいかな?どうかな?」っていう感じで焼きたてばっかり食べてるので、(袋の商品を指して)こうなってからはね(笑)ほんとは冷めてから食べるのが一番美味しいんかもしれませんね(笑) とても割れやすいので、気をつけてお持ち帰りくださいね。生地に水分をたくさん入れて作りますので、出る模様が全部違うんですね。お茶をされる方は景色を眺めるようにお上がりになりますね。
何かゼミですか?そうでもないんですか?

(神社と門前菓子の関係についての調査の旨伝える。)
昔っていうのはね、四条なんて繁華街もないし。「お祭り」いうても自分とこのいわゆる氏神さんのお祭りだけがお祭りみたいんな感じで、あのー…もちろん祇園祭も大きいなんがあるけれども、この辺りの人のお祭りって言ったらもう御霊さんのお祭りだけなんですね。
まぁ、神社はいっぱいあっても氏神さんとそうじゃない神社さんと分かれてますんでね、氏神さんには氏子さんがいらっしゃる、そうじゃない神社には別に氏子さんていうのはあまり…だからここだったら上賀茂さんが北の方にあって、今宮神社があって、御霊神社があって、それで御所の真ん中で祇園社と半分半分御霊さんはなってるんです。御霊さん、御所の半分までかかってるんですね。そのくらいポンポンポン(遠く点在している様子)があれでね。何も楽しみっていうのがね。

働く言うても日曜がお休みっていうわけではなくって、一日と十五日とか、丁稚(でっち)さんたちとかそういう人たちにとっては、たまにしか休めないし、お祭りの日は当然大手を振って休めるんで、その、楽しむって言うたらやっぱりこう、働いてはる人はお祭りで休んだ時に中(神社境内)いっぱいお店出るしね。
で、この辺りは「六日ごと」って言ったかな。6,16,26日に御霊さんとは違うところで、この近辺で、廿日市(はつかいち)とか八日市(ようかいち)とかあるでしょ?ここは六日毎に市(いち)が立っていて。でも四条の繁華街はないわけ、全然ないわけ、だから楽しみってのがないわけね。そういう中でこの御霊神社の唐板って言うのがあって。

氏子さんにしたら子供さんが生まれますね?生まれたら、初節句とか袴着であるとか、あ、袴着は庶民じゃないけども、そう言う節目節目の時に御霊さんにお参りをして報告をして、それで唐板を持って帰って近所の人に「(神社)行ってきました」「ここまで育ちました」っていう報告をするわけよ。お土産っていうのは「そこに行ってきましたよ」っていう、伊勢神宮もそうでしょ?赤福持って帰るのは「行ってきましたよ」っていう、みんなに福のお裾分けをするっていうそういう感じだから。

ほら、子どもっていくつまでは神さんの領域ていうのありますよね。
その無事に育つっていうことがなかなか難しかったから、医療が発達してないから。だからここまで育った、(その次の)ここまで育った、ほんで成人を迎えた、結婚をしましたっていう報告。結婚したら女の人、氏神さん変わりますからね、ここの近辺でなければ。その新しい氏神さんに報告をしてもらわないといけないし、ここの氏神さんから「誰々が出ていって、何々の氏神さんのところに行きます」って報告してもらう。そうそう!引き継ぎ。それを私もしてもらったんですよ。地元の神社から「上御霊さんに嫁に行きますんで、戻ってこないように(笑)」って。お願いしますって。
男の子だったら奥さんいただきましたので、ご報告しますって。もっと大きくなったら厄年だからなんとかしてちょうだいって。「いってきました、どうぞ」って近所の人に厄年になりましたって。お父さん、お母さんが亡くなったら法事でお使いになったり。人生の節目節目に必ずついて回ったお菓子っていうのが、この辺りの人にとったらね。そういう役割があったんだと思います。

だって遊び場所もないし、お土産なんて言うても買いに行くような時間もないし。ここに遊びに来るっていうか、小さい時になら遊んだりしてって言う、そういうんのんが、まぁ、でっちさんになっても何になっても唯一の楽しみっていうね。
今はもう、ちょっと電車で行ったらどこもかしこもお祭りだらけだけれども、そうじゃない時のお話だから、そういう感じでねずっときたんです。他の神社についてるお菓子も、私が今言ったような節目は必ず氏神さんにご報告に行って、この先もよろしくお願いしますって。その時にちょっと一服、休憩って食べていく。今宮さんなら「あぶり餅食べていくかー?」ってほんわかした気持ちになる。

質問)遠くから来られる方というのは、なかなか昔はなかったですか?
なかったと思いますよ。
その代わり神社にお参りするということがもっと多かったと思う。お祝いをするということが人の命というのが大変な重さを持っていたから。医学も発達していなかった。本当にこの人生の節目1つ1つを無事に越えられたっていうのはものすごく大事なことで。もう一つ、自分の力プラス周りの力、神さんの力借りてホップステップジャンプじゃないけども、もっと「生きていかなくっちゃ」っていう気持ちが強かったんだと思う。そういう感じでお参りがあったんじゃないかな。

昭和2〜30年ごろだったら、西陣が活気づいてた時は、西陣の着物の卸売りじゃないけど誓文払い※1)っていうの?そういう時にどっとお使いになったっていうのはあるんだけど、今はもう西陣がそうでもないので、お茶の先生が多いですね。あとはご存知の方がいらっしゃる。量が少ないんでね、作る量がね。

商いというもんは自分で作って、作ったのを生きていけるように値段をつけて売って、それ以上できないじゃないですか、本来。自分が作ったものを買っていただく、ようけ儲けてもそんな仕方がないし、生きていけないといけないし。そういう値段設定をして「今日これ売れたらもういい」っていう。

箱(に詰められた商品)は昨日で売れちゃって、袋しかないんですよ。今日はね、作りながらは売れないのでね、今は空箱ばかりがありますが。明日作る(笑)。やむをえず!明日作ります(笑)休日返上で(笑)

※1)誓文払い…商店で在庫品その他を格安に売り出すこと。

10/12 10:50 頃 水田玉雲堂(唐板)の女将さんへのインタビュー

長文読んでいただき、ありがとうございました。


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