サツガイスレイヤー
について、となっていないが、
変わらず考察?記事です。
フジキドがニンジャスレイヤーとなる時、
ナラク・ニンジャはその有様を「珍しくも無い」と切って捨てた。
だが、その「珍しく無さ」こそ、フジキドとナラクの共感を生み、
共闘、そして代えがたい相棒としての関係に至ったはずだ。
それに対し、マスラダがニンジャスレイヤーとなった時、
ニンジャ(サツガイをニンジャと呼ぶのならだが)に殺されはしたものの、
その後の彼の胸を占めるのは、殺された恨みなどではなく、
アユミ=カノープスを殺してしまった後悔と、
その原因であるサツガイの祝福、そしてサツガイへの怒りである。
これは、ナラクの共感も、ナラクと共にある怨念の共感も無く、
ただマスラダの個人的な経験であり、
ナラク=ニンジャスレイヤーとしては、記憶をフジキドに似せて繕ったが、
その行動は誤魔化せず、サツガイ探求に一貫した。
そこに他人が入り込む余地は無く、モータルが少ないと感じたのは、
別記事の通りだ。
ただサツガイを求め、その打倒に比喩ではなく全てを捧げた姿は、
合一や拒絶の果てに暴走する過去のニンジャスレイヤー達と比べても、
フジキドと比べても、
ニンジャを殺すという、手段と目的が混在しているはずの
ニンジャスレイヤーとしては異質であり、
サツガイスレイヤー、サツガイを殺す者と呼ぶべき様相であった。
だがそれと同時に、全てを薪にくべて尚
「友人を助ける」という個人的な目的を成し遂げた姿は、
どうしようもなくヒーローでもあった。