ボクの生い立ちと挫折と今
おはようございます。
41歳でデカい会社をクビになり、路頭に迷っていたところ、昔からの知り合い先輩(神風社長)に再開し、アドバイスを貰いながら経営とは何ぞやを学んでいるどうもボクです。
ボクの会社はあと1ヶ月以内に設立されます。
準備の最終大詰め段階になってきました。
もちろん営業活動は並行して日々行っています。
ボクの生い立ちについてご興味あれば少しだけ語ります。
ボクは海外で生まれました。
血筋は母親も父親も日本人です。国籍も日本です。
父親が商社勤務だったため海外転勤があったんです。
生まれた国はマレーシア。
その後も父親の仕事に伴って転々と引っ越しを繰り返しました。
シンガポール、北京、バンコク、ロサンゼルス、香港・・・と数か国の海外生活の経験があります。
日本に帰国してからはいわゆる普通の学生として日本の高校に通いました。
進学校で偏差値まぁまぁ高めの男子校でした。
正直、親には感謝してます。とくに父親には。
何不自由なく生活をさせて貰えたこと、行きたい学校にも通えて、一軒家にも住んでました。
海外での生活、小学校、中学校での経験は財産です。
そんな偉大な父親は数年前に病気で亡くなりました。
商社サラリーマン時代にお金を稼いでいたであろうこと、早期退職金を貰っていたであろうこと、株などの資産を持っていたであろうこと、
全て推測なんですが、今生きている母親が何不自由なく暮らせているのは父親のおかげだと思います。
父親のように財産を残して死ねるようボクも頑張ります。
そんないわゆる「ボンボン」の家柄でしたが、高校生当時は自分が恵まれているなんて理解もしておらず、
いわゆる遊び惚けておりました。
麻雀、酒、女。
マジで16歳~18歳はこれのループでした。
タバコ以外は全てやってました。
とにかく勉強が嫌いでした。
進学校なのにほとんど勉強しませんでした。
成績は400人中380位くらいでした。
赤点を3教科取ると強制的に留年するシステムだったので、いつも「留年だけはしない」ようなテストの点の取り方に必死でした。
数学はあと〇点単位必要!とか、歴史は大丈夫クリア!とか。
父親は基本、無関心な人でしたので
ボクが高校でどうだろうが興味無さそうでした。
父親の関心は息子でへなく、愛する母親にのみ向けらていました。
そしてボクは赤点と留年危機にもがき苦しみましたが何とか高校だけは卒業しました。
進学校でみんな受験して大学を目指すのですが、アホで無知で馬鹿なボクは「勉強なんてもうしたくない」という小学生以下の知能で思考停止に陥っていました。
そうなんです、受験勉強はおろか、受験すらしませんでした。0校です。
そして高校を出て何をする、も全く何もない本気のノープラン野郎だったのです。
留年の危機と常に戦っていた3年間に嫌気が刺したのでしょうきっと。
母親には「あんた高校出てどうするつもりなのよ!」とか言われていた気もします。覚えてませんが。
そしてちょうど18歳のこの頃、1人の女性と出会い、その女性と半同棲生活を送っていました。
いわゆるヒモ生活的な感じで入り浸り、働くわけでもなく適当な1年を過ごしました。
クズですね。
19歳になり、ふと、「ヤバいこのままだと人生詰む」と焦りました。
家に届いたDMチラシを見ると専門学校の募集チラシでした。
母親に頼み込み、専門学校に入学させて貰いました。
<家から近い>という理由だけで選びました。
入学した専門学校はボクより1個年下の男連中ばっかりのクラスでした。
今でもそいつらとは仲良しです。
2年間専門学校に通い、やっとのことで就職・・・という半生です。
ところがこの就職も凄いトラブルの連続で・・・
この続きはまたどこかで自分語りしますね(^^♪
いや~クズな半生ですねw
さようなら!