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大切にしたい何かをもっている人へ

線路脇の細い路地を抜けるとひっそりとたたずむ昔ながらの天ぷら屋さん。
青色ののれんをくぐり、がらがらと音を立てて引き戸を開けると、店内にたちこめる油の香りと共に「あら、いらっしゃい。」とおばちゃんが笑顔で出迎えてくれる。おじちゃんは「なにしに来たの」なんて軽口を言って笑う。

優しい老夫婦が営む天ぷら屋さん。
「天ぷら五郎」は僕たちの大好きな場所だった。

天ぷら五郎とぼく


Try-aNgLeができるよりずっと昔、僕が大学1年生のある日
たつきさんが「すごくいい店見つけたから行こう」と誘ってくれたお店。
それが天ぷら五郎だった。

中に入るとカウンター5つと座敷が1間。
はじめて来たのにどこか懐かしい雰囲気。
数人で行ったので座敷に通された僕たちにおしぼりを持ってきたおばちゃんが「今、麦茶持ってくるから待っててね」と言ったのを聞いて、
「おばあちゃん家やん」と言ったのを覚えている。

頼んだのはおまかせ天丼。
油にもこだわっているからか、全然重たく感じないサクサク衣。
大きなエビに季節の野菜。
甘じょっぱいたれをかけたご飯が何とも言えない絶品の天丼。
大学1年にして人生最高の天丼を知ってしまった。
それなのに値段は学生にも優しくリーズナブル。

僕たちは、天ぷら五郎の虜になった。

それから何度も天ぷら五郎へ通った。
カウンターに座ると、おじちゃんが天ぷらを揚げている様子が見れる。
それを見ながらああだこうだと世間話をする。
カウンタ―に座る初めて出会った常連のおじさんと話し込むこともあった。それを横目におじちゃんが茶化すようなことを言って子どものように笑っていた。食べ終わるとどこからともなく「みかん食べる?」とみかんをくれることもあった。
僕たちの大学生活は天ぷら五郎と共にあったと言っても過言ではない。

大学3年の春は、天ぷら弁当を作ってもらって近くの桜が有名な公園で花見をしたこともある。前に雑談したときに「五郎さんのとり天食べてみたい」と言ってたのを覚えていたのかいつもはメニューにないとり天が入っていた。やさしさと思いやりがつまった弁当だった。

社会人になってからも何度も通った。
というか友達がみんな卒業して上越を離れてしまい
独りぼっちになってしまった僕には唯一と言っていいほどの居場所だった。

社会人一年目。思い描いていた社会とのギャップに打ちのめされ身も心もボロボロの中食べた天丼の味は今も忘れられない。

僕たちが少しずつ大人になっていく傍にはいつも天ぷら五郎があった。
僕たちにとっての第二の実家だった。

新潟市に移ることになってからも、上越に行く機会があれば顔を出していたがコロナのせいでめっきり回数は減ってしまった。
それでも結婚の報告をしたり、Try-aNgLeで上越に行ったときに顔出したりと年に1度くらいは行っていた。

しかし、妊娠出産などでここ最近は全然行けておらず、少し落ち着いた今年の夏「はるちゃん(娘)の顔見せがてら行きたいね」と言っていたところだった。

そんなある日、同じく天ぷら五郎と共にすごした友達から見せられたのはこんな張り紙。

「電話したがつながらず、店の中に人の気配もなかったようでもしかしたら娘さんのところに移ったのかも。」と

具合でも悪くしたのだろうか
おじちゃんもおばちゃんも元気なのだろうか
どうにしてもただの客の僕には知る由もなく
ただただ喪失感と後悔がこみ上げるしかなかった。

娘の顔見せたかったなとか
もう一度食べたかったなとか
最後に感謝を伝えられなかったなとか
言葉に有り余る感情をこの数週間反芻していて
まだ整理なんてついていないのだけど
本当に本当に大切な場所だったんだな。

諸行無常っていうのは
ただの四字熟語じゃないと知った2024年の夏だった。

僕たちだってきっと永遠じゃない。
いま謎解きを楽しんでくださっている方がずっと楽しんでくれるかなんてわからないし、僕たちになにかあってTry-aNgLeがなくなることだってあるかもしれない。

ニイガタ謎の陣も去年今年はやったけど
来年からあるかどうかなんて今はわからない。

でもいずれ終わりはくる。
その時に、後悔だけはしないように一瞬一瞬に全力を注ごう。

五郎さんの天丼はもう食べられないけど
五郎さんの天丼を作ることはできないけど
五郎さんみたいに来てくれた人を喜ばせることはできる。

五郎さんにもらったたくさんの幸せをつないでいけるように
僕たちが作る幸せを次の誰かにつなげるように

ニイガタ謎の陣第弐陣開催まであと1か月。

新潟謎解きクリエイター集団Try-aNgLe たこやき


ニイガタ謎の陣

終結する謎の陣からの脱出





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