そのままの自分でいられる豊かさを、この島が教えてくれた。 「カラリト五島列島」代表 平﨑さん対談 | 前編
このたび「n’estate(ネステート)」の新たな拠点に追加される長崎県五島市のホテル「カラリト五島列島」。そこで今回は「自分らしい、晴れやかな生き方」の提案を目指し、同ホテルを運営する株式会社カラリトの代表の平﨑雄也さんと「n'estate」プロジェクトリーダー櫻井の対談を前後編でお届けします。
前半では五島列島の福江島に“Iターン移住”を決意した平﨑さんご自身のエピソードや、ホテルをつくるまでの経緯、島の魅力などをお聞きしました。
プロフィール
実家で感じるぬくもりのような、ふるさとのよさを残したかった。
櫻井:まず我々の関係性をお話ししたほうがいいですね。僕にとって平﨑さんは大学の先輩であり、新卒で東京建物株式会社という、同じ不動産デベロッパー業界に就職した先輩でもあるんです。今から4年ほど前、私が三井不動産レジデンシャル株式会社で用地取得(不動産開発事業のための土地や建物を仕入れる業務)担当だった頃、偶然にもふたりとも長崎県の五島列島にある不動産開発用地を仕入れようとしていて。同じ不動産開発用地を違う会社で追っていた、ライバル関係のような時期があったんですよね。それが僕たちを出会わせたし、まさにその案件がカラリトの創業にもつながるわけだけれど。
平﨑:そうだったね。当時、僕は東京建物不動産販売株式会社という関連会社に出向し、そこの新規事業チームにいました。その頃に(のちに株式会社カラリトの共同創業者となる)三井不動産レジデンシャルOBの山家 尚くんから「五島列島に不動産開発案件があるんだけれど、検討できませんか」って連絡があって。
櫻井:五島列島に行ったのは、そのときがはじめて?
平﨑:僕は熊本県八代市で生まれ育ったのですが、五島列島や福江島という名前は聞いたことがあるくらいで行ったことがなかったんです。ただ、山家くんから声をかけてもらって、とりあえず一度行ってみないとわからないよねと、当時の部長と上司、同僚と私の4人で3泊4日の視察に行きました。
櫻井:山家くんは三井不動産レジデンシャルの用地取得部門での後輩だったというつながりもあって、個人的に仲がよかったんです。僕も平﨑さんとほぼ同じ頃にその不動産開発案件の相談を受けていて、当時から「n'estate」の原型になるような事業アイデアは考えていたこともあり、前向きに検討したいと思って。僕も同時期に福江島に行っているんですよ。とても気持ちのいい場所だし、土地のポテンシャルはすばらしいものがあるとは思いながらも、なぜ都心でも郊外でもない、地方都市でもない、長崎県の福江島で三井が事業をするんだという唐突感は拭えなくて。会社の事業として取り組むにはロジカルに語りきれなかった。
平﨑:確かにいきなり離島は唐突だね(笑)。でも、はじめて福江島に行ったときにとても懐かしい雰囲気を感じたのを覚えていて。島のみんな、とてもフランクで飾っていなくて、すごくいいなと思った記憶がある。都市部で不動産の開発をしていくよりも、もっと人間の本質というか、大切にすべきものが実体化されている気がして。ロマンを感じましたね。
櫻井:でも、そこから会社を辞めて移住をする決意に至るまでには、平﨑さんの出身が九州であるということも後押しに?
平﨑:いつかは九州に戻って、九州のために働きたいと思っていました。
僕は2003年に大学に進学して東京に来たのだけれど、ちょうど六本木ヒルズとか丸ビルができた頃で。田んぼの近くで育った平﨑くんは「うわー!かっけー!」って(笑)。こういう仕事をして、いつか熊本にもつくりたいなと。そうすれば九州が都市として発展して、もっと若者が集うんじゃないかと当時は思っていたんだよね。でも、30歳を過ぎたくらいから、九州の魅力ってそういうことじゃないよなって、ふと気がついて。
櫻井:確かに、ちょっと違うよね。
平﨑:とにかく地元が好きだったので、年に2回は熊本に帰っていたんですけれど、豊かな自然や地域に根付く方言とか文化、実家にいるときに感じるような愛情に満ち溢れた空気感。そんな九州の魅力や、ふるさとのよさを残したいと思っていたんです。
櫻井:その想いが、福江島を訪れたことをきっかけに強くなった?
平﨑:そういった都市でできることとは違う不動産の開発や取り組みを、九州から挑戦したい気持ちが芽生えてきていたタイミングでもあったんだよね。
その後、当時の社長に福江島での事業提案を何度かしたのですが、自分の力不足もあり、イエスともノーとも言われない状況が続いて。あれは、恋人に距離を置こうと言われたときの感覚に近かったですね(笑)。
そんな中、山家くんから「ちょっと打ち合わせしましょう。できれば個別で」と呼び出されて。どうしたんだろう、もしかして紹介してくれた不動産開発案件がなくなってしまうのかな、なんて考えながら会いに行ったら「(会社を)辞めてください、辞めてほしいです。あたらしい会社をつくって一緒に福江島の案件をやりませんか」って。もはや「どうですか?」とかいう聞き方じゃなかった。
櫻井:あー、確かに。彼(山家くん)なら、言いそう(笑)。でも、もう平﨑さんの心の中は決まっていたんだね。
平﨑:一応「2週間くらい考えさせてくれ」とは言ったものの、もう福江島に行く気満々でしたね。一緒にやりたいって言ってくれる人がいるってことは、やっぱり今なんじゃないかなって。
自分の人生を自分で選択できる豊かさ。
櫻井:今の話を聞いていて、山家くんから「平﨑さんが会社を辞めることになりました」ってメールが突然来て、すごく驚いたのを思い出しました。しかも、なぜか写メ付きだったし(笑)。自分と近しい境遇で、それこそ同じ不動産開発案件を他社で追っていた人が急に会社を辞める。しかも自分で会社を創業して、自らその案件を事業化していくって、ものすごい決断じゃないですか。正直に言って、ちょっと悔しいような、羨ましいような、でも心配にもなるような、不思議な気持ちでした。
平﨑:いろいろな人から「よく決断しましたね」って言われるんだけれど、たしかに東京建物はいい会社だったし、この福江島の件があったとは言え、それだけで辞めるほどの強い理由はなかった。でも、当時はなんだか息苦しかったんだよね。職は安定しているかもしれないけれど、心はどこか膠着状態にあって。
櫻井:その原因は何だったの?
平﨑:たぶん、自分は目の前のレールに乗ったまま70歳くらいになるまで同じことをやり続けるんじゃないか。そして、その過程で世間体とかプライドみたいなものが徐々に自分を重苦しく覆いこんでいくんじゃないかみたいな漠然とした不安があって。そういうのを一度全部壊してみて、フラットな状態で自分自身が表現したいことを、事業を通じて試してみたかったんだと思う。
櫻井:と言うことは、福江島の案件がなくてもいつかは辞めてたかもしれない?
平﨑:どうだろう。 山家くんからの背中を押す一言がなかったら、今もたぶん辞めていなかったんじゃないかな。大きな不満はないけれど、どこかにわだかまりを抱えて、飲み屋あたりで発散しながら過ごしていたと思う。
櫻井:典型的なサラリーマン像ですね(笑)。結果的に、思い切って行動してみて一番よかったと思うことは何ですか?
平﨑:自分で自分の人生の選択権を持てたことかな。当時は人生の選択肢を誰かに握られているような気がしていたし、ありのままの自分から離れていっているような感覚があって、それが辛かったんだと思う。
今の環境から変わることができないと思うと、どうしても息が詰まってしまうことってありますよね。でも、そんなときに「何かあったからこっちに来ればいいよ」って、いつでも迎えてくれるような場所があると、人って結構頑張れると思うんですよね。
かと言って、今東京や大阪に住んでいて同じような悩みを抱えている人に僕が「五島最高だよ、今すぐ来ればいいじゃん」って言っても、普通はなかなか来られない。
だから、まずは1泊から滞在できて、その地域を知ってもらえるような場所が欲しくて、ホテル「カラリト五島列島」をつくりました。
ただ、田舎に移住すること自体が目的ではなくて、都市と地方を行き交えるライフスタイルが理想だなと思っていて。どちらに偏り過ぎていてもダメで、サウナと水風呂のように、行き交うことで整っていくような感覚。
ここでの滞在を通じて、福江島や五島列島を知るきっかけにしてほしい、この島にいる魅力的な人たちとの出会いの場でありたい。いろいろな人にとっての第二のふるさとをつくることを目指してはじめました。
櫻井:その考え方は僕が担当している「n’estate」もまさに同じ。僕たちのサービスは、決して移住やアドレスホッピングを促すものではなくて。都市から異なる都市、郊外や地方など、いろいろな拠点を選びながら、今の自分に最も合うくらしをデザインできるようになる未来をつくりたいと思っているんです。都市の利便性も、郊外や地方、自然の豊かさも、どちらも生活の中に取り込めるような未来。
平﨑:複数の選択肢を持てるから、ひとつめの選択肢に思いっきり走れる部分もあるよね。仮にそっちが難しかったら、プランBでいいじゃないって。その選択肢があるっていうことが豊かなこと。「自分にできることなんて何もない」って思うかもしれないけれど、そんなことはないです。
福江島だって完全に人手不足だし、できることはめちゃくちゃあるから(笑)。あと、今の僕はサラリーマン時代よりも、自分の仕事が誰かの笑顔や涙につながっていると直に感じられる機会が多くなっていて。そういう自分のやることへの手応えというか手触りみたいなものも、個人的にすごく大事だと思います。
櫻井:社会人歴が長くなっていくと、手触り感みたいなものはどうしても薄れていく傾向にある気がしますしね。平﨑さんご自身、福江島と東京を行き来する生活を送ってみて、どうですか?
平﨑:今の自分のベースは圧倒的に福江島なんだけれど、夫婦内ではよく「(都市と地方のくらしの)両方だから、ちょうどいいよね」と話しています。東京では疲れちゃうときもあるし、自然豊かな五島列島の方が過ごしやすい。でも、やっぱり東京にしかない刺激や楽しみもあるよねって。
櫻井:地方の心地よさも、都市の利便性も。両方を知っているからこその選択肢だよね。
平﨑:でも、生活の豊かさを考えると、僕は圧倒的に五島列島の方がいいと思っています。例えばゲストの子どもたちが来たときに、いつも東京で見せる顔とは違った表情をすると言われることも多い。急にイキイキと友達と話しはじめたり、こんなに積極的だったっけと驚くゲストもいる。お父さんお母さんとかもそんな我が子の姿を見て心がほぐれていくし、そういう光景を見ていると、とてもいいなと思うんです。
櫻井:それ、すごく分かる! 僕も最初に五島列島に行った直後、ワーケーションに関するワークショップに参加するために、もう一度行く機会があって。そのときは、当時3歳くらいの息子も連れて行ったんです。引っ込み思案のシャイボーイだった彼が、一緒に行ったメンバーと走り回ったりしてすごく楽しそうで、それから一皮剥けた感じがするんですよね。自主性というか、すごく積極的になった。親として、子育ての象徴的なシーンを目の当たりにした気がして、今でも思い出すな。
平﨑:大人も子どもも、そういう心の変化に気が付くシーンが五島列島には多く散りばめられている気がする。それは都市で暮らしているだけでは、なかなか得られないよね。そういった体験を通じてなのか、2022年度の五島市は年間移住者200人を5年連続で達成したそうです。
櫻井:すごいよね。家族での移住も多いのかな。
平﨑:移住者全体の8割が20~30代。家族で移住する人もいれば、単身や夫婦で来る人も多いみたい。「カラリト五島列島」に来てくれる方々も「また今度来ます」「今度は家族全員で来ます」って、五島列島そのもののファンになって帰って行く人が多くて、そういう不思議な引力のある島だなって感じます。
> 後編の記事はこちら
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