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~アーティストデート第一弾~ 学生時代の思い出の地を巡る旅

ハリウッド映画やテレビ番組のライター・ディレクターとして活躍したジュリア・キャメロンが約30年前に書いた『ずっとやりたかったことを、やりなさい)』の最新作『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』を読んで、12週間のワークに挑戦しています。

ワークは、以下の四つの基本的なツールを用いて課題を行いますが

①日々の「モーニング・ページ」
②一週間に一回の「アーティスト・デート」
③一週間に二回、一人でする「ソロ・ウォーキング」
④一週間に一回の「メモワール」

5月に、上記基本ツールの中の②と④を組み合わせた、過去の人生を再訪する旅に出たので、ここに記しておこうと思います。

今回巡ったのは、大学時代に住んでいたアパートとアルバイト先です。

まず、京王線の各駅停車駅、西調布駅に向かいました。

近代的な入口に変わっていた西調布駅


私が住んでいた頃は、このような近代的なエスカレーターなどはなく、改札から直接ホームが見えていました。駅のホームは変わっていませんでしたが、改札から駅の出入口はすっかり様変わりしていましたね。


京王線西調布駅の駅舎


各駅停車しか止まらない小さな駅でしたが、いまではこんな立派な駅舎に変わったんですね。感慨深い。

駅の改札を出てすぐ横にスーパーがあったのですが、新しい駅舎の建設に伴ってなのか、既に無くなっていました。一見したところ、代わりのスーパーが新しく出来ている感じはなかったのですが、西調布に住んでいる人はどこで買い物しているんでしょう?

駅前の小さな商店街も少し歩いてみましたが、駅舎が新しくなった以外はほとんど再開発されていないようで、行きつけの美容院も無くなってましたし、シャッターが下りている店舗もいくつかありました。

お隣の調布駅は、駅周辺がだいぶ変わって、新しいショッピングセンターがいくつも立ち並んでいたのに、変わらない街は変わらないものですね。

ただ、駅の反対側には、新しくロータリーが出来ていました。

西調布駅前ロータリー


住んでいる時は、全く知らなかったのですが、新選組の近藤勇生誕の地らしいです。

西調布は近藤勇の生誕の地

そして、駅前から、狭い路地へと入っていきます。

アパートに続く路地

駅から徒歩7~8分ぐらいのところに、当時住んでいたアパートがあるはずなのですが、この辺りかな?と思ったところにはそれらしき建物がなく、卒業してからおよそ30年、さすがに築20年以上経っていたアパートが残っているわけないか、、と思っていたところ、周辺の番地が違っていることに気付きました。

もしかすると、もっと先なのかな?と思い、歩き続けたところ、なんと建て替えられることもなく、住んでいた頃のままのアパートがありました!

学生時代に住んでいたアパート

建物は残っていましたが、今現在は誰も住んでいないようです。建てられたた当初は、1階の2部屋がお風呂とトイレ付で、2階の2部屋は風呂なしトイレのみ。後から2階にもう1部屋お風呂とトイレ付の部屋が増築されたというアパートです。

私は、大学入学と同時に2階の真ん中の部屋に入居し、2年間銭湯に通う生活をしていました。当時は、歩いて行ける距離に2件の銭湯があり、寒い真冬でも毎日通っていたはずなんですが、寒くてしんどかったような記憶って残ってないんですよね。まあでも、いま銭湯に毎日通えと言われたら、たとえお金をくれると言われても嫌ですが、、

その後、1階の風呂付の部屋が空いたときに、大家さんのご厚意で移らせてもらって、卒業まで住み続けました。かなり狭い、水を貯めてから沸かすタイプのお風呂でしたが、一応シャワーもついていて、雨の日や寒い日に銭湯まで行かなくても済む生活に変われたので、貧乏学生には天国のようでした。


住んでいたアパートが残っていたことに、驚きと感慨深さを感じながら、西調布駅を後にし、京王線に乗って大学1年の秋から卒業まで続けたアルバイト先に行ってみました。

京王線聖蹟桜ヶ丘駅からアルバイト先まで続く道路

アパートと大学の間にある京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩10分ぐらいのところに、アルバイト先の建物がありました。企業から請け負った様々な情報をコンピュータに入力する仕事だったんですが、昼間は主にパートの女性が働き、夕方~夜まで近隣の大学生が働いている職場でした。

当時はまだWindowsのPCもなく、学生なんてワープロさえ見たことも触ったこともないような状態でしたが、研修で入力を覚えさせてもらい、程なくブラインドタッチも出来るようになりました。

その時にかな入力で覚えたせいで、その後WindowsのPCが普及し、世間ではローマ字入力が当たり前になってからも、かな入力から変えることが出来ずに今に至ります。

私が使っているPCを触ると、ローマ字入力ではない文字が現れるので、知らない人にはびっくりされます。そういう時は少数派の悲哀を感じずにはいられません。。

アルバイト先は少し高台にあったので、近くに行くまで会社の建物が残っているのかさえもわからなかったのですが、階段を上って行った先には、当時とは全く違う民家しかありませんでした。

アルバイト先の建物があった場所からの景色


アルバイト先近くにある川

駅からアルバイト先に行く途中にあったお店などは当時のまま残っていたりして、ああこの辺りは変わってないなぁと思いましたが、働いていた建物は無くなってしまったので、少し残念な気持ちでしたね。

学生時代は実家からの仕送りだけでは生活出来ず、平日夜と土日、長期休暇の時には単発のバイトまでしながらの日々でしたので、もう少し勉強したり、サークル活動をしたりという学生らしい生活を送りたかったなぁと思いますが、いい思い出ではありますので、久しぶりに思い出の地を巡ることが出来て、楽しいアーティストデートになりました。