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思い出すための1月のふりかえり
1月はどんな1ヶ月だったか、ちょうどいい機会なので振り返ってみたいと思う。
しかし、振り返ろうにも、もう1ヶ月前のことなどはほとんど覚えていない。
幸いにして今年はなぜか毎日手帳に「いいこと3行日記」を書くようにしている。たった3行でも、思い出す、いいきっかけになる。
1ヶ月も溜まると見返す効果を実感する。
日々は通り過ぎるだけでは記憶に残らない。
一方で、日記や写真などで振り返るポイントを作っておくと、思い出が積み重なって記憶に残りやすい。
さまざまな解釈をすることもできる。
仕事の進め方については、passive(受け身)からactive(能動的)にという変化を意識した。これは、構造的なものかもしれないが、自分自身が仕事を進める意識を持って主体的に動くことを意味している。
それができたのも、年明けで一時的に案件を整理したタイミングで時間的余裕が持ちやすかったからかもしれない。
実際、後半になり予定が重なったこともあるが急に案件が動き出して途端に仕事に余白がなくなった。
こういう時にどうすればいいのだろうか?
そういうタイミングでも仕事を進められる人は、余白がない時でも変わらずに前に進めることに、おそらく躊躇がない人なんだろう。
自分は駄目だ、ある程度の精神的余裕がないと新しいことができない。。。
そう思うこと自体が思い込みかもしれないが。
自分の限界を勝手に決めない。
先にやることを決め、大きな石を自分のキャパというビンに入れる。
その後、残りの隙間で小さな石を詰め込むことでキャパ内に収まるやり方もある。
…ふと、今年の「大きな石」は、まだ決めてないかもしれないと気づく。
そういえば、今月は余白の効果か、本をたくさん買って、たくさん読むことができた。
読んだ感想を忘れないようにXに投稿しているが、それでも片っ端から忘れていく。
忘れたけど、読んだ感覚は残っているの。
であれば、躊躇せずに読み返せばいいんじゃないかと思う。
自己啓発本やビジネス書などはあまり読まないようにしてきたが、どうしても精神的に必要だなと思う時がある。
そういう時は読むようにしている。しかし、その効用もしばらくしたら薄れる。でも、読むこと自体に後悔はしていない。
人生のロスタイムということについて考えることがあった。
自分はもう何かを成し遂げた後で、どちらかというとロスタイムにいるのじゃないか。そんな感覚だ。
何を成し遂げたかというと、明確には思い出せないが。
その一方で、幼子たちをみているとまだこの子どもたちが大きくなるのを見ていたいと思うし、それはまだ自分の役割だろうという自負が生まれる。
それが少し安心になっている気がする。
自分がいることで世界が少しでも良くなっているのだろうか。
微々たるもので、いてもいなくても同じなのかもしれない。
世界への影響なんてあまり考えないでもいい。
自分を突き動かすものは何だろうか。
最近は、他人にお願いしたり、働きかけたりすると、周りは協力的で、いろんなことが前に進むんだなということを実感する機会が多い。
そう思うと、自分に閉じていて知らなかった世界がまだある気がする。
それをもっと見てみたい、楽しんでみたいと思う気持ちが自分のモチベーションになっている。
それは、他の人にとってみれば当たり前のことかもしれないが、自分にとってはとても新鮮で、まだ知らない世界だったりするかもしれない。
それならばそれでも全然いいと思う。
こんな感じで今年は自分の思考や、肌感覚をできるだけ文字にして残しつつ、気づきを言語化していきたい。
それをまた読み直して「こんなこと言ってら」と楽しみたい。
そうしないと色々忘れてしまいそうだから。