【歴史概要65】ノルマンジー公国・ヘプターキー(七王国時代)
①ヨーロッパ世界を作ったのはゲルマンの諸部族であった。フランク王国が三分割されたところで一段落ついたと見られる。その後歴史を動かしていったのは主にノルマン人たちであった
②ノルマン人はゲルマン人の一派であってデンマーク(デーン人)やスウェーデン(スヴェーア人)、ノルウェー(ノール人)など北欧地域に居住していたので北の人(Normanean)と呼ばれていた。9世紀ごろから海賊・略奪行為を行うヴァイキング(Viking)として周辺地域の脅威となっていった。
③ノール人(ノルウェー)の有力者の息子であるロロは部族の対立に敗れノルウェーを離れ北海沿岸を荒らしながらフランス北部海岸に定住した。周辺でも略奪行為をしたので西フランク王国のシャルル3世は土地を与える代償に臣下になる事を要請し許諾した。
④こうして911年にノルマンジー公国が成立した。ロロはキリスト教に改宗ししばらくはじっとしていたが侵略をし始め周辺に領土を拡大していった。ノルマンジー地方は安定していたのでスカンディナヴィアから多くのノルマン人が移住してきた。
⑥原住民とノルマン人との通婚が進み人口が増加していった。ノルマン人は略奪目的もしくは傭兵などをしてヨーロッパ各地に進出していった。
イタリア半島の南部やシチリア島などが目的地となった。
⑦1066年にノルマンコンクェストでノルマンディー諸侯兼イングランド王となるギョーム(ウィリアム)はロロの子孫である。
⑧イギリスの正式名称はグレートブリテン・北アイルランド連合王国(United Kingdom)であるがブリテン島は南部のイングランド、北部のスコットランド、西部のウェールズから構成されている。西方の島がアイルランドであり北アイルランドのアルスター地方がイギリス領である。
⑨イングランドに居住したゲルマン人はアングロ・サクソン族である。5世紀ごろにケント、マーシア、ウェセックスなどの7つの小国家を樹立した。この時代のイングランドはヘプターキー(七王国時代)という。
⑩イングランドにとってノルマン人、とりわけデンマークを中心としたデーン人の侵入は脅威となっていた。
これに対抗するために9世紀初頭にウェセックスのエグバート王が初めて七王国を統一した。
⑪統一は長くはもたなかった。デーン人はウェセックスを除いたイングランドの東部一帯を支配した。その支配地域をデーンロウという。
9世紀に出たアルフレッド大王は要塞と海軍を整備しデーン人と戦った。ウェセックスの独立を守り、デーン人と和平条約を結んだ。
⑫アルフレッド大王はカール大帝に倣った宮廷学校を設立した。法典などを整備して社会のベースをつくっていった。
しかしデーン人のイングランド侵攻はしつこくアルフレッドの亡き後も続いた。
⑬アングロ・サクソンの諸侯たちは貢納金を払ってデーン人の支配を防いでいたが11世紀に入りその支配を受け入れる事となる。
■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社
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