我々が他人に願っていいのはその人の幸せだけ
お疲れ様です。水田真理です。
私は怒っています。
他者の優しさを食い物にしてなお自分は不幸だと言ってのける人間が許せません。
せめて(せめてですよ?)他者を踏み台にしたのなら幸せになれよ。と思った上での結論がタイトルになります。
嫌なやつですらそうであるのだから、ましてや良い人についても願いましょうということ。幸せになれー。
まあ、呪ってもいいし無視してもいいし戦ってもいいんですが、一応幸せを願うメリットを書いておきますか。
まず1つ。
別に何もしないでいい。
2つめ。
嫌な気分にならない。
3つ。
良い人との関わりが良くなる。
といったところ。
別に幸せを願ったからといってそうなるかは分からない。なることもあるらしいが。
なら私が確定で幸せになれるルートを踏むのが良さそうもん。
良い人との関わりが良くなる。ってのが個人的にあって、頼まれてもないのにお節介焼いちゃうとか、迷惑じゃないかなって心配になるとかが減る。体感ね。
説教してやろうとか、改心させてやろうと意気込むのは他者支配の領域なので、それだと私が嫌な奴になってしまう。そうなってしまったら流石に生きていけない。
変な宗教ぽいですかね。
めちゃくちゃムカついてめちゃめちゃ考えた結果の結論なので、悪くないと思いますがどうでしょう。
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