勉強が嫌いな理由

お疲れ様です。水田真理です。

まず知識と知恵の話をします。

調べれば分かることは知識です。これは外付けが容易です。何も知らなくてもスマホが手元にあれば解決します。

調べて分からないものは知恵です。人によって回答が割れます。そしてそれらはすべて正しいです。
これを外付けしたとして、どれを回答に据えるかは個人で判断する必要があります。

で、それぞれ「知識人」と「知恵者」で呼び分けます

そういえば年寄りを敬う理由って、往々にして彼らが知恵者であるからなんですよね。
いわゆる老害と言われる人々は、若い頃から知恵をつけることを怠った結果ともいえます。決して年を取ったからああなったわけではないのですよね。

逆に幼くして知恵者足り得る人も稀で、ギフテッドに類する天才も分類するならほとんどが知識人ですよね。

短絡的に考えれば経験が足りないという結論なわけですが、経験を補うのが知識であるのでその結論では不十分かなと。
もう少し言えば生きるだけでは知恵者になれないのは、先人が示しているので、経験から学べる何かが必要なわけです。その何かさえあれば経験などなくとも良いと。

私のざっくりとした印象でよければですが、場合分けができるかどうかが大事だと思っています。
画一的な解答しか返ってこない人を賢いと思うことは少ないかと。TPOに合わせた最適解をその場で考える、あるいはかつて考えたことがある人は賢そうですね。

経験とは様々な状況に身を置くことであり、その都度最適な回答が異なるということを身を持って知る機会だと考えます。

その場で回答が出せる人は運が良いですが、一度きりの最適解を考えようとする人はそれだけで知恵者と呼ばれるべきですね。

ということで。
勉強にモチベが上がらないのは知識人に憧れがないからかと思います。我々は知恵者になりたがっている。
謎解きが流行ってるのもそういう理由かも。
勉強でなく学問まで行けば未開のフロンティアですので、面白いと思いますがね。

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