大人になったら生きる意味に悩まないのか?

お疲れ様です。水田真理です。

人生について考えることは思春期あるあるで済まされてますけど、世の大人共は結論を出しているのでしょうか?

そういえばいつまで子供のつもりでいていいんですかね。
子供と大人の精神を線引きしようとすること自体おかしな話ですかね。大人じゃない=子供ってのも強引かも。
あるいは子供じゃない=大人なんですかね。そもそも大人って表現が成熟度と社会性の2軸ある時点で分かりにくいですね。あと年齢か。3軸です。
私が嫌いなのは社会性大人。成熟度大人は好きです。

さて、人に人生について聞いたことないのでわかんないですけど、気になりますね。

かつての天才たちが挑めど答えを出せていないので、この問の回答に正しさを求めることはないのですが、これで行こうと仮置きの回答を据えているのかどうかってこと。

聞いてみるのも面白そうですかね。
人生論縛りで2時間居酒屋はきついか?

あんまり大人達は悩んでる感じもしないですけど。
なんかお金無い話と時間無い話と天気悪い話しかしてこないから大人の会話クソつまらないです。
私がお金も時間も持て余してる異端者だからですかね。
友達じゃない人と話してるからつまらないだけですか?

もしかして大人(年齢的に)になったら考える暇がないかも?
仕事で手一杯ですかね。
子供がいたらそれどころじゃないですかね。
子供を育てることが人生の目的になりますかね。
子供が独り立ちしたら生きる意味がなくなりますかね。
仕事も退職すればなんで生きてるか分からなくなりますかね。
寿命を目前に、老いを感じながら生きる意味をじっくり考えるのはなかなかメンタル的に難しそうですが。
そうすると思春期に考えておくのが都合もいい感じに思えます。

生きるのに必死でそれどころじゃなかったはどうでしょう? 理由なく人は生きていていいの証左かもしれませんが。大事にしたいものが目の前にあるとそういう生き方になりそうです。

悩めるのは恵まれているのか、目の前に答えがあるのは恵まれているのか。魂的にはどっちなのでしょう。

いずれにせよ大人(成熟度)になるには生きる意味について自分なりの回答を用意してやる必要がありそうです。

大人になったら悩まないのではなく、悩みに回答を据えたら大人(成熟度)の仲間入りという話ですね。

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