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【映画】A GHOST STORY 【感想】

監督・脚本、デヴィッド・ロウリー。

ハロウィンの定番仮装のシーツオバケ。
源流はよく分かりませんが、古典幽霊譚にベールを被った幽霊がよく登場しますし、彫刻にもモチーフで使われることから、その辺りに関係するのかな……と適当に考えてみたり 笑

物語は郊外の一軒家に住むCとMのカップル。
Mはこの家を「しょっちゅう音が鳴る」と苦言するがCにとっては妙に居心地が良く。
仲睦まじい2人の間にはそんなこんなで住まいに関する「ある問題」で意見が割れており……そんなある日の朝、唐突な自動車事故でCがあっさり死亡。
残されたMはひとり悲嘆にくれるが、実は彼女の傍らにはシーツオバケと化したCが見守っていた……という始まり。

オカルトホラーというにはメランコリックで、少し哲学的っぽい。
序盤以降、シーツオバケになったCは無言、Mも殆ど独り言すらなく。

若干のポルターガイスト的な脅かしを住人に対して行いますが、特に悪意があったわけではなく、現世に留まり続けるしかない哀しみと怒りが一瞬着火した感じなので、少し同情的になってしまう。

スピリチュアル混じりのオカルト哲学をモブのひとりが語りますが、内容は霊魂と輪廻の作中における解釈みたいなもの。

残される側の哀しみと、先に逝ってしまった哀しみ。
どちらの気持ちも測れるものではありませんが、生きるということは進むことでもありMはやがて家を離れ先へ進む。

逆に地縛霊となり家に残されるC。
何を待つのか。
心残りなのか彼女が出ていく前に柱の隙間に差し込んだ紙をカリコリと取り出そうとします。

一旦幽霊となったCの時間の流れは変則的で、あっという間に何年も過ぎていたりする。
ただひたすら現世に留まり続けるCの気持ち。

シーツは段々薄汚れ、家は壊され、周囲は土地開発で近代的なビルになり。
もう何処にもMの気配すら残らない場所に、Cは絶望しビルのうえから飛び降りる……も、幽霊なので死にはせず何故か過去へタイムリープ。

そこで目撃するのは、ある一家。
そしてMと同じ行動をする少女を見てCはなんとなくその家族を見守るものの、やがて不幸が襲う。

シーツオバケはドレープたっぷりとった布地で目穴だけがぽっこり(ややタレ目)なのに不思議と表情がある。

日本でいう能面に通じるところがあるような。微かな首のかしげ方俯き加減で表情を作るんですね、それに似ているなあと。

何故にCは引っ越しに難色だったのか、死後Mの残した紙片に拘ったのかは終盤のタイ厶リープで回答を出してくれていました。
(ある時点でシーツオバケが2体になりますが、ドアが開け放たれたシーンでは1体は姿を消しているのでこのループは閉じたと解釈してます)

紙に書かれた文字は何でも良い。
ただ前触れも予告もなく唐突に生を終えてしまった自分が、この世界にいた確かな手触りが欲しかった確かめたかったという気持ちのような。区切りが欲しかったのかなとも。

花柄シーツオバケの「(誰を待っていたか)忘れちゃった」「もうこないみたい」が少し切なかった。

自分は好きな作品でした。
シーツオバケ愛おしい。

おしまい。

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