#2 母とピアノ。
クリスチャンの家庭に生まれ育った母は、3人姉妹の長女。性格は真面目で控えめ、だがその内に秘めた責任感の強さを、まだ子供だった当時の私はよく覚えている。
母の実家には『アトランティック』というとても古いピアノがある。おそらく100年以上前に製造されたであろうこのピアノは、二十数年前に亡くなった祖母の形見となっている。母が幼少期から親しんだ思い出のピアノであることに間違いはない。外観も黒塗りではなく木目調で、洋間の家具のようである。今や調律不能なこの『アトランティック』だが、だいぶん外れた音程も祖母との懐かしい思い出として聴くには悪くない。
クリスチャンの母はお見合いをし、一般的な仏教の家庭に嫁ぐこととなった。厳しい姑との同居生活であったため、日曜礼拝へ出向くなど許されるはずもなく、日々仏壇に手を合わせ、感謝する習慣が身についた。
姑はとても厳しい人だった。しかし物解りの良い側面もあった。母が嫁入り道具としてピアノを持参することや、家庭でピアノ教室を開くことは許されたのだ。
母は、27歳で女の子を産んだ。
そしてその翌年、母の28歳の誕生日であるその日に、私が産まれた。
子供時代の私は『母と誕生日が同じ』であるこがすごく嬉しかった。この偶然を、友達にもちょっと誇らしげに話していたように記憶している。そして幼少期には、私たち姉妹も揃って母からピアノを教わっていた。
出産後も日常生活をピアノとともに過ごしていた母であるが、初めてハンドベルと出会うことになったのは、それから約20年後のことだ。