読んだもの:コロナと国民国家

これは、読んだものについての簡単なメモです。
あまり多くを書くことはできないけれど、ついったでは書き留めるのが難しいようなものについてメモを残しておくことと、関心の共有が目的です。

引用は自分の印象に残ったものを抽出したもので、もちろんそれが原文全体の内容や主張を代表するものではありません。

コロナウイルス禍が照らし出す国民国家の弱さ

ここのところ猫も杓子もコロナウィルスです。国によるその対応の違いが、それぞれの国や地域の姿を浮き彫りにしているように感じます。

日本については、いろいろな情報を見たり読んだりしている限り、今のところリスクマネジメントも、リスクコミュニケーションも、あまりうまくいっていないと感じるけれど、とりわけ人々と国家や行政との関係性が、日本独特だなあと強く感じます。たとえば、政府が要請ベースの仕組みで人々の行動を変容させようとしていること(そうせざるを得ないリスクマネジメントも含めて)とか、それを受けた感染者への視線や「自粛警察」なんていう言葉が出てくるような人々の反応とか。

今日のメモは、こういう日本的なもの?の由来に少しだけ触れるようなものを感じたこの文章です。文脈としては、「国民国家」がどのように形成され、それがコロナウイルス禍でどのように見えるかが、特に「西欧諸国とアメリカ合衆国」「ロシアをはじめとする旧ソ連諸国」「日本」について対比的に述べられています。

その中で、日本がどのような性質の国民国家であるか、についても対比的に見えてくるような気がしました。

国民国家が現実に成立するのは、18世紀末のフランス革命によってである。それ以前の身分制秩序においては、住民は同じ国に住んでいても、様々な身分に分かれていた。
(中略)
国民国家では能力があれば、あるいは努力を重ねれば、どのような出自のものにも社会的上昇を果たす可能性が開けていた。そのため国民国家は、住民一人ひとりの能力を引き出すのに適していた。また、各人の国家への帰属意識も強まったから、団結力も増した。
西欧諸国が先導的な役割を果たしたのは、資力や教養などに裏打ちされた社会的発言力をもち、それゆえ身分制にも批判的であった階層が、他地域に比べて厚く存在していたからである。
この有産層・教養層は、行政機構に対して自立的であり、批評的・批判的に接した。彼らは18世紀から19世紀の西欧諸国において、行政機構に対して自立的な「公共圏」また「市民社会」と呼ばれる領域を成立させた。こうした領域が、「国民国家」の核となった。
日本、また、私の研究対象であるロシア帝国・ソ連は、劣勢の側にいた。一般的にいって、この劣勢側の国々は、自立的な「市民社会」を西欧諸国のような規模や密度ではもっておらず、それゆえ国民国家づくりにおいては行政機構が主導的な役割を果たすこととなった。これらの国々では、緩慢に歩を進めていれば西欧諸国ないしアメリカ合衆国の犠牲となりかねなかったから、行政的手法により重点をおいて、急ピッチで国民国家の形成を進めなければならなかった。
欧米列強の脅威に晒された明治維新前後の日本では、国民国家づくりはロシア帝国・ソ連以上に強く、かつ明確に、焦眉の課題であると認識された。それゆえ、明治政府は行政機構主導で、上からの国民国家づくりを強力に推進した。
総じて、明治期日本の政府・行政機構と「市民社会」とは、欧米列強のプレッシャーのもと、近代化また富国強兵が焦眉の課題であるという認識を共有していた。このことは、必ずしも「市民社会」の批判性を低減させたとはいえないだろうが、行政機構の主導性を促すように作用したと思われる。
その後も、日本の国民国家づくりにおいては、行政機構の役割は減らなかった。
国民国家づくりにおいて行政機構が主導的な役割を果たすという、ソ連や日本において見られた傾向は、西欧諸国やアメリカ合衆国を除けば、世界各地で広く見られた現象であったといえる。
日本では、外国人労働者の増加を前にして、多文化主義が掲げられなかった点は、ロシアと似ていた。他方、新自由主義が「市民社会」のインフラを切り崩し、社会格差を深刻化させた点は、日本が西欧・アメリカ、旧ソ連と共有する現象である。日本でも西欧諸国・アメリカでも、「市民社会」のインフラが切り崩され、国民の多くが経済的に疲弊したことの裏面として、行政機構は結局のところ、社会生活の要所においてかえって存在感を発揮している場合もある。
日本ではこのことはとくに、新自由主義に適合した緊縮財政路線をとる財務省に当てはまる。もとより、「市民社会」のインフラの縮小を、官僚や政治家の責任にのみ帰すことはできない。規制緩和や民営化を支持することで、私たちみなが、そうした趨勢を後押ししていたのであった。

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