世界は悲しいほどに複雑で、ときどき笑えるほどにシンプルさ
あるうたの歌詞です。
今朝、ふとこのうたの、この言葉が頭に出てきました。
ほんとうに、世界、人間の作るこの社会というものは、それこそ悲しいほどに複雑で、だけどそこにふと、とてもシンプルな何物かがあるような気がしたりもして。ただ、ほんとうにそんな気がするなあとじんわり思ったのです。
だけど今朝、この言葉をふと思い出したあとに、ぼんやり浮かんできたのが「組合せの爆発」という話です。
組み合わせの爆発というのは、ある問題をコンピューターに計算して解いてもらうときに、その問題の登場人物が増えてくると、途端に答えを得るのに膨大な時間がかかってしまって、無限(に感じる)時間をかけなければ解くことができなくなってしまう、というものです。
(Wikipediaさんの説明)
要素の数が多くなるとその組合せによって急激に、考えられる可能性の数、とりうる実現形の数、実行すべき手順の数、あるいは全体の複雑さが非常に巨大化してしまうことをいう。
いろいろ中でこんがらがっている自覚のある自分が思うのも変な話だなあと思うけれど、人って、本来はとてもシンプルなものだよなあと思います。むしろ複雑になっているのは「関係」であって、関係によって「社会」が出来ているのだとすれば、社会の複雑さは関係の複雑さでもあるよなあ、と。
人が持っている複雑さ、たとえば感情とか、欲望とか、行動とか、そういうものは、グラデーションのあるものではあるけれど、ある人が持っているそれらのバリエーションというのは、がんばって数え上げて整理すれば、数え上げられないこともない気がします。少なくとも人間が数え上げられるような数字は、千だろうが百万だろうが、コンピューターの世界ではそんなに大した数じゃない。だから、「複雑さ」というより、「シンプルさ」と言ってもいいかもしれない。
だけど、それぞれが持っているシンプルさを持ち寄って作られる「社会」は、その関係性によってその複雑さが簡単に爆発する。それによって、最適解を得ることは不可能になってしまう。
それが、世界の悲しいほどの複雑さと、そしてそれぞれのシンプルさというものに似ているなあと、そう思ったのでした。
もう少しだけ想像を膨らませると、これから量子コンピューターというものが実現すると、この組合せ爆発が解けるようになる(かもしれない)らしい。今の暗号技術も、この量子コンピューターの前ではかたなしかもしれません。
そんなことができるようになったら、もしかしたらこの悲しいほどに複雑な世界も、いたってシンプルに見えてしまうかもしれない。人間には無理だけれど、新たに生まれるかもしれない何かの存在には。
その存在のことは、想像することはできても、とても対等にコミュニケーションができるとは思えないなあ、なんて考えたりして、少しぞわっとしています。
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