真実について
例えばふと、どこか遠くへ逃げ出してしまいたいと君は考える。知り合いも誰もいない全くの未開の場所へ。
それは明け方の散歩の最中でも、真夜中に目的もなくコンビニへ向かっているときでもいい。君は逃避について考えるとき、現実的なことが頭に浮かんでくる。君は君がそれほど強靭な人物でないことを知っている。ひとりで生きていけるほど強い人間ではないことを理解してる。それでもなお、逃避への積極的な接近を試みる。
それから数日経ち、通勤途中にもう一度そのことについて考えてみる。君は理由もなく突然、今ならこのままどこかへ消えてしまえるのではないかと思う。それも、一週間くらいでふらっと戻ってくるような中途半端で稚拙な逃避ではなく、どこまでも冷酷で徹底したものを君はやり遂げられる自信が湧いてくる。君は自分自身の人生からも自分という存在を消し去る覚悟があることに気が付く。物質的なものから君の家族から友人から同僚から信頼から思想から匂いから気配から記憶から何から何まで後に残してくることに後悔も感じることなくこの世界から退出することができるかもしれないと考える。
ここからが本当の話。
君はもうここにはいない。それは君の意思や決定に関わらずという意味において。
君がいつも通りその日も出勤したとしよう。それは現実の話だ。だけど真実は違う。真実を語るなら、君はもうここにはいない。真実とはそういうものだ。
君は反論するだろう。その日も逃避について散々考えた挙句、結局のところ出勤したのだと。
真実とは現実の話ではない。君が出勤したこと、それは現実に起こったことかもしれないが、真実とはかけ離れている。私が語りたいのは何が起こったかではなく、真実がどうだったのかということだ。
ここからは真実について。