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神様への祈り

ソウル・セラピーと出会って浄化をこつこつ続けています。愛と光のこと、浄化のこと、祈りのこと、魂や神様のこと、体験をつづります。


神様に、祈る日々です。

祈りは
神様との対話と教わりました。

自分の言葉で
思いや考えや願いを伝える、本音を打ち明ける、
神様から返ってくるものを待つ、そんなイメージのことを聞いて
びっくりしたのを覚えてます。

祈りっていうと
「神様、一生に一度のお願いです」
みたいな感じや、

初詣に神社⛩️に行って
「家族が健康でありますように」
「◯◯が合格しますように」
一方的に話しかけるかんじだったから。


神様と対話するって感覚は無かったし、
対話のイメージは持てても、
どうしたらいいか🤔?分からなかった。


話しは変わって

お花を飾ってます。
お花、大好き。

見るのも
飾るのも
(はいポーズ♫) 写真を撮ってあげるのも
お水替えて剪定して活けなおすのも
何よりも、
花屋さんに行って選んでおうちに連れて帰って来るってところから含めて、みんな好き。


お水替えたり花びん変えたり活けなおす度に
また違った雰囲気になって
今日も可愛いねーってうっとりしちゃう

見る方向が変わると、
花たちいろーんな姿見せてくれる


うっかりお水替えるの忘れたら花たちしょぼん
お世話すると元気になってくれてホっとする
気にかけて、話しかけて
花たちと過ごす時間がいつの間にか欠かせなくなった。



ハっ。。。
おんなじだなーってハっとしました。

花たちと対話するのと、おんなじなんだな。


花を飾るようになったきっかけは
お客さまをお迎えするためだったけど
この子たちに慰められて、迎えられて、癒されてるのは、誰よりもわたし。
いつもありがとうね。


祈りもそうだ。

祈るとき、
神様を見て
(見えない🫥 から意識を向けて)
伝えたいこと言葉にする

なんにも言葉にならないとき
心だけは向かっていたいです、と願って、
神様が今、共にいて下さることを想う
あふれる嘆きを、祈りに変えられますようにと祈る。


子どものときの
「神様、一生に一度のお願いです!」
あのとき
本気でお願いしたことは大人になるにつれ叶った。

神様は、
ときに手を替え品を替えされるけどちゃんと聞いてくださる方なんだーって信じた。

慰められて、迎えられて、癒されて、
神様への祈りは欠かせないものになった。


日々の中に確かに感じる
しあわせや、
信じるきもちを大切にしたいです。


平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。



神様からの愛を受けとることができますように。


千日紅(センニチコウ)
公園にも咲いてたよー



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