野球場には夢が落ちている その2
えーと、今回の記事は前回の「野球場には夢が落ちている その1」の続きになります。
一回目では自分の置かれている立場の変化とか、スタンドの未来、情勢の移り変わりとか、今年個人的に掲げたテーマについて話しました。ここでは実際に球場で何が落ちていて何を拾ったのか?について話そうと思います。
※以前の記事が読みたい方は下記の記事に飛んでみて下さい。
・試合前のアナウンスにおける呼び方
細かいことではあるのですが、今回相手球団となった新潟アルビレックスBCはファンの方を「サポーター」と定義しています。なので群馬ダイヤモンドペガサスの定義している「ファン」とは呼び方がちょっと違う、という文化の違いがあります。
あまり慣れていないアナウンサーだと、このカードでは両球団のファンの方々を一纏めに「ファン」と呼ぶと思います。それはそれでまあ間違いではない(特に言及されることもない)のですが、新潟球団に対するリスペクトといいますか、理解を持っているなら新潟のファンは「サポーター」と呼ぶのがより適切、ということになります。
で、試合前のアナウンスでは「群馬ダイヤモンドペガサスのファンの皆様、新潟アルビレックスベースボールクラブのサポーターの皆様、どうぞよろしくお願いします」という内容だったと思いますが、きっちり区別して呼びかけているのを聴いておお、と感心しました。サポーターに誇りを持っている方もいらっしゃると思いますし(自分もマリーンズを応援していた頃はサポーターを名乗っていた時期がありました)、細かいことですが分かる人からすれば、こういう事に感謝されることもあるのではないかと思います。
・他球団の現役選手が来場していた
このダブルヘッダーではお客さんの中に選手らしき人が見えるのはざらにあるのですが、見覚えのある顔があったので声をかけました。名前は自信が無かったので、「どこかで見た覚えがあるのですが…」という入りからでした。話を聞くと田代大輝選手でした。元々群馬に在籍していた選手で、現在は神奈川フューチャードリームスに在籍していますが、練習生です。この日くらいしか行けるチャンスが無かったので球場に来た、という話でした。
何だかんだ群馬の後輩の事を気にかけてくれていたのですね。
で、練習生になった理由を聞いてみると、肩を故障してしまった、というものでした。元々群馬の頃からフォームにかなりの負担があり、凄い球を投げる代償で肩が消耗していくのです。具体的に話しますと田代君のフォームはギリギリまでリリースポイントを後ろに持って行くので、球が相当遅れて出てきます。押し出す感じになるので伸びも凄いのですが、肩にとてつもなく大きな負担がかかるのです。復帰戦でテーピングが巻かれていたのもやはりそういう事が関係しているようでした。
肩は治すとして、今後はどうするのか?と聞いてみましたが、野球は続けたいそうです。ただ神奈川に残れるかどうか分からない、というのが実際のようでした。そりゃまあ、練習生だし、そうか…
その後は彼も色々な方に話をしていましたが、遠巻きに見ても楽しそうにしていたのが印象的でした。
団長と副団長に話もしていましたが、彼等と田代が来ていたと話をした時は、「神奈川にいられないならこっち(群馬)に戻ってくりゃいいのに」という意見で一致していました。ちなみに自分も同じ意見です。何だかんだ群馬の方々はOBに優しいので、OBでも現役でも来てくれる方が多々いらっしゃるのは嬉しい事です。ともかくまずは無事にシーズンを終えて現役を続けられることを願っています。
・練習生との会話
球場外でぼーっとしているとユニを物珍しそうに眺めている選手らしき人がいたので話をしました。名前が分からんので聞いてみたら練習生の塩田幸十郎君でした。シーズン通して中々出番のない投手で、裏方をやっていることが多かった選手です。シーズンも終わり頃なので心境は如何ばかりか…と言うことで、まぁ45番の背番号は大昔に今井金太という派遣投手がいてそこから自分はこの世界に入ってきた、という話をして、塩田君の今後の話もちらほらしました。出来たらペガサスに残って今後を支えて欲しいですが、今年も機会が無いとなると他球団で機会を得た方が良いのかどうか…まぁ今は昔と違って選手が球団を選べる時代だから、よく考えて来年に繋げて、でもペガサスにいてくれれば個人的には嬉しい、という話だけしておきました。
このユニフォームに興味を持ってくれたのは2015年の山口歩君以来ですね。言葉遣いも丁寧な好青年だったので、少し名前を覚えておいて後々会長と話すときにちょっと話題に出せればと思います。
・スタンドに掲げられた「のぼり」の数
数年前から群馬ダイヤモンドペガサスは個人スポンサーを展開していますが、スポンサーが付くと選手の「のぼり」がスポンサー名付きで球場に掲揚されます。ぶっちゃけ独立の選手や監督コーチをスポンサードしても大した返礼も出来ずたかが知れているだろうに、それでも彼等の成長を信じて投資してもらえるのは非常にありがたいことです。
で、今日の試合ライトスタンドを眺めると、のぼりがずらーっと並んでいるんです。確かやり始めの頃は五つくらいしかなかったような…
個人スポンサーは自分も過去に考案したことがありまして、このスポンサー事業を成長させて球場のスタンドに並べられる所まで来たのか、と一種の感動がありました。個人的には選手起用への影響などの課題も感じていますが、プロなら自分の手足でスポンサーを自ら獲得してこい、というのもまた真実ではあります。事業自体は続けていって欲しいと思っています。
・チラシに掲載されたスポンサー数
球場へ入場した際にチラシをいただいたのですが、驚いたのは一番後ろにあったスポンサー一覧です。物凄い数のスポンサーに支援していただいています。個人スポンサーも含めて、一ページでは埋め切れないくらいになってきました。いちファンですが、この場にて感謝申し上げます。
自分も曲がりなりに八年ファンを続けているので当時のチラシも保管していますが、保管資料で最も古い2015年と比較しても差は歴然としています。
個人スポンサーの話でも述べましたが、コロナ禍で資金繰りが厳しいであろう中でスポーツ事業へ投資というのも中々難しい事と思います。大したリターンも出来ずたかが知れている、といえば実も蓋もないですが、それだけにそういう現実を乗り越えて投資していただいていることにただただ感謝しかありません。選手達もこういう積み重ねの歴史がある事を認識して試合を戦ってくれていると信じております。
・退団した選手や親が今でも観戦に来ている
副団長さんに話を聞いてみると、どうも退団した選手の親の方が今でも球場に足を運んでくれている、ということでした。具体的には速水君のご両親が来ることがあったり、青栁選手の親父さんが未だに球場に来ることもあるそうです。OB選手としても工藤君や鹿沼君、南君(名字が変わったと思うけど覚えてない)がシーズン中に来場した話を聞いています。
球団との関係性が切れてそこまで義理も無いはずなのですが、それでも来てくれる、球団の成績がこんなん(今年は優勝逃していますので…)でも観に来てくれる、というのは縁によるものではないかと思います。距離がそう遠くないのもあるかもしれません。でも退団選手のみならずその親の方も来てくれるって、やっぱりみんな野球が好きなんだなって改めて思いました。
現役選手のご家族らしき方も何人かいらしゃいました。これもありがたいことです。選手としては見てくれていること、その環境に感謝して一つ一つ大事にプレーして欲しいと思います。
・スペシャルマッチに参加した子ども達が公式戦に来てくれた
これは今回球場で拾った夢としては最たるものなのですが、今シーズンは地域の小学六年生でチームを組んで練習をして、八月に試合を組んで戦う、という大型イベントがありました。選手が監督とコーチを務め、試合中継も行い実況と解説(永井コーチ)もついて、応援団も公式戦さながらで音源を流し、チアユニットも派遣とかなり本格的に構成されたイベントでした。
このイベントは特に小学生選手の保護者から高い評価をいただいていますが、どうも今日の試合で団長さんから話を聞くと、その後も子ども達が度々スタンドに遊びに来てくれる事がある、と言うことでした。
実際試合を観ている時に一組子どもと親が球場に来てくれた光景に出くわしました。記念ユニフォームに英語で「りの」と書かれているので、第三試合でホルモンズの先発をしていた女性選手です。
以前の試合でも応援団席にスペシャルマッチに参加した子どもたちがやってきて一緒に応援をやらせて欲しい、と言うのでやらせてあげた事があったようでした。
これは感激しました。そもそもシーズンを優先すれば朝早くからこんなイベントで消耗しなくてもいいのです。このスペシャルマッチの日はナイターに公式戦があり、スペシャルマッチによる疲労は敗因に挙がりそうなものでした。しかし自分はそれでもやる意義はあると思っていました。地域のために身体を張らずに、何が「地域の為のふるさとプロ野球」か…
監督を務めた中で中道君や堀北君、岩沢君は他県の出身者でいわゆる地域からすれば「よそ者」の扱いです。彼等が地域から理解を得るためにもこういう身体を張る経験は大事だと思いました。地域の自治と同じで、イベントに参加する事で理解を得て、いざという時の支援にこぎ着ける事が出来ます。
そして今回、そういうイベントを経たことで試合に参加した子どもが来場して試合を見てくれている…
無から有を生み出したといいますか、とても小さく中々目に付かないですが一つの成果というか小さな芽が出た光景で、自分が将来スタンドからいなくなってもきっと彼等が大きくなって球団を支える一助になってくれるだろうと、この子たちがいる限り球団の将来はまだ大丈夫だと思えました。スペシャルマッチ自体は、来年以降も定期的に続けて欲しいと願っています。
・ベンチの歓声
伊勢崎市野球場は球場入り口と選手用ロッカーが近いのですが、特にライト側の群馬のベンチは想像以上です。扉が空いているので、ベンチの声援がよく聞こえます。試合中に球場外の自販機で飲み物を買いに行ったときに聞こえましたが、前向きな言葉が多いです。声も大きいのでよくグラウンドに通りそうです。スタンドは消沈していてもベンチの熱さに救われた気がしました。ここ数日負け続けている中でも声出しはしっかりしているので良かったと思います。
こういう事もあり、今年のダイヤモンドペガサスは中々勝てない時期が長いのですが、イベントを打ち出す方針は賛同しているので勝てないことにあまりどうこう言う気も起きなかったんです。ふれあいキャッチボールも復活し、子ども大人関係なく球場で運動できる文化は取り戻せました。
試合は各自が責任を感じて成長してもらえばいい話なので、来年残る人は頑張れ、という感じです。それ以上にもっと長い視野で野球を捉えてみたい…
残り試合は少ないですが、来年も含め勝ちたい意識は持つ中でいかに地域の方に降りていけるか今後も考えていって欲しいと願います。
余談ですが、試合後にグラウンドでファンと選手の写真撮影があったのですが、自分は一番後ろで団長の旗持ちを手伝いました。今まではいちファンとして一匹狼な所があったのですが、もうそんな年頃でもないだろうと、いつ自分はペガサスからいなくなってもおかしくないのだから、この際裏方や黒子に回って他の選手やファンの方を映えさせるようにしよう、と思いました。今後は彼等の時代です。良い写真になっていればいいのですがね。
こういう感情になったのはペガサスに来て初めてのことで、伊勢崎での撮影も初だったので、良い思い出になりました。
・親の立場になってみると…
これは別の話題なのですが、今年は高校野球も少し見ておりまして…
というのも甲子園に出場した選手が自分の近い身内と言うこともあって、ビデオを回したり墓前で父親にあたる亡き従兄弟に報告したりしていました。
この選手には夏の甲子園前に群馬ダイヤモンドペガサスの野球御守を持たせておりました。夏の甲子園ではそれなりに活躍したので、良かったと思えました。
で、将来の進路が気になって独立リーグもどうなのかな、と考えると、案外薦める気にならんのです。あれ?という感じですが、あーそうか、他人の立場なら応援するけど、父母の立場になればそんな不安定な環境には挑戦させんか…という親心が何となく分かってきました。いや自分まだ彼女がいなければ結婚もしていないので当事者でもなんでもないですけどね。悲しくなるので話を続けます(進路は大学進学で大体決まってきているようです)。
独立リーグに選手を入れるとした時に、ファンの立場だと「勝てるチーム」をベースに選手を入れたがると思いますが、親の立場だとそれなりにシステムがしっかりしている球団を選ぶと思います。いくら勝てても他を犠牲にしていたりとか、すぐに切ってしまうような球団だと、それはやめとけ、となるのは自然だと思います。まぁある程度歳食って自立した選手なら安定関係なくてもいいのですが、新卒を入れるとなると話は別です。プロレスラーみたいな話ですね。子どもにはやらせたくないって…
なので、ダイヤモンドペガサスに関しては足固めを行い、来年優勝を目指す中でしっかり練習して生活が出来る環境にあるのか、というのは大事にしていかなければならないと思っています。幸い、今オフには室内練習場の整備が行われる計画で、これなら南部野球場みたいに天候に練習が左右されることが少なくなると思います。あとは道具補助や食事関連ですね。
今は独立リーグが北から南まで30球団くらいあるような時代で、こういう地味な事を強くしていかないと選手から選ばれない球団になってしまう…という危惧があります。ペガサスは比較的恵まれているとは思いますがまだまだ十分とも言えないので、今後も球団には積極的に発言していこうと思っています。