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ご無沙汰しております

 えーと、仕事面とか私生活面とかでとんでもなく忙しい日々が続きましたが、なんとか時間が作れたので近況の報告とかシーズンも終わったのでその報告とか出来たらなーと思います。


・シーズンが終わりました
 開幕前にお伝えしたとおり、自分は2024年を節目の年として位置づけていて、思い残すことはあまりないように活動してきました。とはいえシーズン後半は事情が急変したので中々行けない現実との板挟みがあり、悩みながら何とか出来ることをしたつもりです。
グランドチャンピオンシップは行ける算段が立たないので、あとはファン感謝デーをもって一通り締めくくりとなります。この一年間、付き合ってくれた皆様に感謝申し上げます。


・今後どうなるの?
 とはいえ、群馬ダイヤモンドペガサスのファンをやめますとかそんな事ではなくて、関与の度合いを結構変えるので実質的にファンとして半分引退(それはやめると同じじゃないの→違います(断言))みたいな感じです。
 2014年から数年間はご先輩方を見ながら一員として(ベイスターズとしての一面も残っていました)やってきましたが、2019年頃から段々と入れ替わりがあって、自分が先鋒で関わる事も増えてきました。コロナ禍があった2020年以降は他球団のファンから頼られることも多く、球場や球団、選手の交渉事に関わった事もあります。

 頼られる事自体はいいのですが、自分も駆け出しの頃に28歳だったのが10年経って38歳です。野球選手と同じで色々な立場との兼ね合いが出てきます。私生活面でも向上があり不満がないのはいいのですが、今年はそれゆえに風向きが変わってきて今までのようにはいかなくなってきました。このまま一線を張って応えられないのは無責任なので、区切りにして自分の担ってきたことは他の人に任せた方が良い、と思うに至りました。
 ファンもいつまでもいてはいけない場所というのは言い得て妙で、まぁでも関わり自体を絶ってしまうと趣味自体が消えて自分の精神状態がァ-~となりかねないので、接点だけは持っていく。多分今までのファンもそうやって折り合いを付けてきたんだろうな、と思います。

お客さんとしては続いていくので、城南野球場にふらっと顔を出したり、大栄小諸球場は地元ですから顔を出すことはあると思います。なので完全にいなくなるという事はないのでその点はご安心下さい(というか本当にいなくなった時は命がやばい時です)。

 中継で度々解説を務めた糸井丈之会長からは名前付きで紹介されることもあり恐縮でしたが、あまり気にせずに発信したのはそういう関係性でいるのも今年までと決めていたから、というのがあります。そういう点で会長には当時から今まで本当にお世話になりました。


・何があったのか
 自分は工場の勤めなのですが、現在後継者の問題に悩まされています。
先輩方の年齢が離れすぎていて、自分が実質的には最年少の状況です。それでも部長はまだ結構続けられる様な年齢だったのでその点で安心できていた、のですが…
 その部長さんが大病を患ってしまい、ちょっと復帰には年単位どころか復帰できるかどうか…?というのも分からなくなってきました。

というわけで部長の後継を嫌でも決めなければならないのですが、先輩方はちょっと周囲との関わりで癖のある方が多く経営陣としても指名しにくい、なので最年少ではあるものの比較的周囲と話を通せている自分に鉢が回ってきた、という訳であります。

 正直な話、自分は当初はあまり乗り気ではありませんでした。
そもそもとしては近い先輩方がいなくなったがために自分が要請される結果となっていますし(そこは上層の計画の失敗だろうと)、自分自身はどっちかというと機械をいじっている方が好きだったので、マネジメントなんてなぁ、スペシャリストでいたいなぁ…と思っていたのは実際です。ただ他にやれる人もいない事実の中で、社を守るには自分がなるしかないのか…というのもあり、しょうがないか…という事で受諾したのでありました。なので今は「代理」という事でやっています。

 ただこの仕事は普通の仕事ではなく、従来の仕事に加えて型の配置、受注における納期との兼ね合いで何を先に作るのかを決めたり、設備の維持管理に関する交渉事に参加したり、今まで部長がやってきた業務がそのまま重なってくるので到底時間が足りません。この状況で趣味の野球に時間を回すのは厳しい物がありました。

 就任にさしあたって一つだけ述べることがあるのですが、当時自分がこの工場に入ったときは精神的にぼろぼろで、転職で手に職が欲しいという動機で、事業主委託訓練生という下の下という立場でした。
色々な運や巡り合わせもありますが、自分なりに努力できるところはしてきた結果として代理とはいえ部長までなったという所でして…
本来このスタートではまずなれないであろうという役職だったので、仕事面でも諦めずにやれば可能性はあるという事を証明できたのかな、と思っています。というかそれくらい思わないと今後やってられないでしょうし、今まで腐らなかった事だけは誇りたいと思います。


・シーズン終盤の優勝争いからプレーオフまで
 今年はそういう事情もあって中々行けない日々が続きましたが、終盤は二試合だけ行ったんですかね、ホークス三軍戦と、群馬マスコミ三社マッチ(栃木戦)には参加しました。チームとしては昨年から大幅な入れ替わりがあった中で、年間通した体力は猛暑もあるし厳しいかなぁ…というのがありましたが、それでも優勝争いに絡めたのは成果と思います。

 プレーオフ第一ステージはそもそも持ち回りの交互開催が無いというのが何とも言えない所(集客興行として今後課題にして欲しい所です)ですが、ビジター戦が続き相手は信濃というある程度完成された球団という構図の中でよく一勝できたと思います。
自分はこの一勝した第二戦(長野県営野球場)を観戦しましたが、どうせ最後なのでという事でこの日だけは応援席で声援を送りました。スタンドにいるファンの方々とグラウンドにいる選手との相互関係が出来ていて、今までそういう事を大事にしてきて良かったと思えたものです。

三戦目となる中野市営野球場では序盤から失点が重なり、苦しい中で必死に追い上げるも惜しくも敗戦となり敗退となるのですが、グラウンドやロッカーでは悔し泣きをしているダイヤモンドペガサスの選手が何人もいたと聞いており、こういうマインドなら来季も続いていけるだろうと安心したのもあります。もちろん優勝も日本一も成し遂げたかったですが、それ以上のものを持ち帰れた三戦でした。


ちょっと時間がある中で書いているので飛び飛びになりますが、少しずつ書いていきます。
これからはこの一年の振り返りと十年間の振り返り、ファン同士の関わり、プロ野球に関する個人的見解を書いていければなと思います。

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