2024/9/26 思考汚染

昔一度読んだ、PSYCHO-PASSのスピンオフ小説である、PSYCHO-PASS GENESISを久しぶりに読み直した。

PSYCHO-PASSの舞台設定が様々なsfの中で最も好きである。この小説を読んで、アニメでは語られない細かい設定を、世界史を学んで世界のシステムを知った気になれるような楽しさがある。

この本では、PSYCHO-PASS用語の思考汚染(サイコハザード)を掘り下げて話が進んでゆく。

PSYCHO-PASSの舞台となってる未来の日本には、シュビラシステムという、社会システムが存在している。

アニメでは、犯罪係数を測定し社会の治安を維持するシステムとしての印象が強いと思うが、役割はそれだけではなく、人々の判断のほぼすべてに影響を与えている。

元は、世界的な恐慌、紛争から逃れるために鎖国した日本国において、限りある労働人口を効率的に割り振るための職業適性考査システムとして開発された。その後、サイマスティックスキャンという人間の精神状態を数値化するシステムをベースに、現代のAIでは考えられないほどのパーソナライズされた正確な指針を提供してくれる。

職業適性から交際する相手まで、その時代を生きる人間の生まれてから死ぬまでの判断に全て影響を与えてくる。まるで、人間の自己判断など必要の無いように。

その為、PSYCHO-PASSの日本に生きる人々はシュビラの提供する行動指針を疑わなくなった。完璧なシステムが提供してくれる、幸福な人生を送れるための人生のロードマップを、いちいち判断をしない方が幸せになれるのだから。

また、物事に対する判断力や猜疑心よりも、他に対する無条件の共感する精神構造が優位な人間が増えてゆく。

今の社会の構成員たちは、シュビラの言う通りに生きるように最適化されているが、その従う先の区別まではできません。言ってしまえば、一定以上の強い影響力を持っ人間がいれば、人々は、シュビラでらなくとも、その人間の意図や衝動に否応なく従い、行動内容を無意識のままに模倣してしまう。

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その行動が、他者への殺戮であろうが関係なく周囲の人間へ伝播していく。これが、サイコハザードの仕組みらしい。

アニメで登場人物する厚生省公安局は、このサイコハザードを未然に防ぎ治安を維持する為に、他者に影響を与えそうな犯罪係数が高い人物を事前に執行しているというわけだ。

判断をしなくなった、もしくは、外部のキカン(機関、基幹、器官)によって自己判断を肩代わりしてもらっている人間は自己というものを限りなく希薄にしていくようだ。

正直、この設定は他人事ではないように感じる。私自身も何か自分で判断するということについて面倒くさく感じることもある。特に、人生を左右する判断については、ありもしない正解を求めて右往左往し判断を先延ばしにしたくなる。そんな現代人は珍しくないと思う。まあ、所謂、現代の大衆化論みたいなもので何度も議論されてきた話ではあるのかもしれない。

ある意味、シュビラが支配する世界は私のような現代人にとってはユートピアに思えるのかもしれない。過去の時代に行きた人々が、自由意志を求めて血縁、村社会などからの開放をもとめて戦って来たのに、現代人が絶対的な神の判断を求めるのは皮肉にも笑えなかも。

そんなことを考えてしまうので、PSYCHO-PASSの舞台となっている日本は、全く関係ない未来に思えない。そして、そこで藻掻くキャラクター達からどうしても目を離せないのかもしれない。