自己完結っていう話。
ああなのかな、こうかもしれない、どうなんだろう。
たとえばあの人はどう考えるだろうか、あの人はどういう答えを出してきたんだろうか、と思いを馳せる。
思いを馳せる、というくらいだから悩んではいなくて、
こういう時に会いたくなる人がいて、その人に言ってもらいたい言葉があるとしたら、それはただ自分の背中を押してもらいたいだけなんだろうな、と思う。
あるいは、背中にそっと手を添えてほしいのかもしれないだけなのかもしれないけど。
会って、「どう思う?」「自分ならどうする?」って聞いてみたい、という衝動に駆られることがある。
だけど、そのたびに「自分の背中を押してほしいなら、自分で押せばいいじゃーないか」と思い直す。
欲しい答えをくれそうな人だから、聞いてみたいと思うだけで、欲しい答えなんてだいたい決まってる。
そういう思考を何度か繰り返す、そーして、
「こんなこと繰り返してるなんて、暇なんだよな」と思い直す。
やらなきゃならないことが目の前にあったら悩んでる余裕はないわけで、
悩んでることがはっきりしてるなら、実は答えも出ているわけで、
ただそうしたくない、足踏みしていたい気持ちがそうさせている。
こういうときにする気晴らしってやつはあんまり楽しくないし、全然気晴らしにならない。
「結局、自分で解決して、自分で答えを出して、やってくしかないよね、自己完結だよ」
とある自営の人と、きょう、そんなやりとりをした。
自給自足で自己完結、いつだってそれが結論。
もし、答えがあったとして
もし、それを教えてもらえるとしても
やっぱりそこは聞かないで、「こうなんじゃないか」「いや、こうじゃないのかもしれない」って揺れながら自分で到達するほうが、ずっと意味があって、めいっぱい楽しめるんじゃーないかと思う、
答えを知って、それをなぞろうとするよりも。
それが自営のいいところ....
ふと、店のスピーカーから流れてくる音楽に耳を傾ける。
60年代のコーラス・ワーク。
ホリーズ、バーズ、ビーチボーイズ、
ハーマンアンドハーミッツ、フォアモスト、
デイブクラークアンドファイブ、マッコイズ、
サーチャーズ、クリケッツ、...
お店のルーツはここにある。
(「お前のルーツは何なんだよ?」
むかーし、音楽サークルに入りたての頃
先輩に言われた言葉を思い出す。笑)
どういうとこがルーツなのかって、
そりゃあ、言葉にしないほうが楽しいでしょ。