
ハッとする瞬間の話。
夕方準備した種で、夜に生地をねって、朝焼いた。
よもぎの量を減らして、クラストをバリッと焼きこんだパン。
どうしてもわからないこと、繰り返しても思うようにいかないことがあって、何日も考えて考えて、でもわからなくて...
そういう謎が解ける瞬間がある。
とにかく、それに関係することをひととおり調べてみて、ぜんぶ頭に入れてみる。
それが何日かすると、
あれとこれとがくっついて、違った、と離れたり、そっちのとくっついてみたりして
はっ、と閃く瞬間がくる。
そのときははっきりした答えはわからない、言葉にできない。
もしかしたらこうなのかもしれない。
この理論とその理論がくっつく気がする、それぞれは違うシーンで語られてるテーマだけど、結びつくんじゃないか、それが答えなのか。
それは予感のようなものなんだけど、たしかに今頭の中にあるもので解ける。
そう確信する瞬間でもある。
いろんなことが昨夜からゆるゆると繋がり始め、そこにたどり着いたのが今朝のことだった。
時刻は朝4時🕓
お店に行くにはまだ早かった。笑
ので、パンをあたためて食べながら、頭の中でその考えをくりかえしていた。
その決め手になったのが、あるインタビュー記事に載っていた、こんな文章だった。
教科書に書かれている常識を疑う。
誰もやっていないことへ踏み込む。
「限界を超えたところにおいしさがある。
●●さんや◯◯さんには1次発酵、2次発酵という概念がない。
自分でどういう味にしたいか考えて、自分で決めていく。
みんながそれをやったら日本のパン屋はもっとおもしろくなる。
誰も作ったことないパンだからうまいかどうかわからない。
ひやひやする。
そのリスクをみんな負うべき」
先に結論を言うなら、頭の中で答えが出たからといって、それをすぐ実践できるかどうかは別の話で....
いまの段階ではそれは仮説にすぎなくて、ちゃんとできるようになったら
(または、他の誰かもそれを答えだとして実践していることがわかれば)
それが答えだと言えるようになる。
だから、その答えは書かないけど、
きっと今日から失敗がぐんと減る。
それに、あの製法の意味も見えた。
野菜の下ごしらえをするときも
煮込みをつくるときも
和え麺をつくったときも
サーモンをマリネするときも
焼き菓子をつくるときも
ヌガーやファッジを作れるようになったときも
そういう瞬間があった。
調べて試して行き着いたケースもあれば、
少しずつ自分の答えにたどり着いたのち、実はその答えは昔から受け継がれていた技術だったと分かったケースもある、その道筋はいろいろだ。
チェーン店の味は不特定多数の舌に合うように、大切な部分が均衡化されて削られているように、きっと一般的な理論っていうのもまた、大切な部分が削られているのだ。
しばらくはそれを確認する作業が続くような気がする。
ほんとは、それを確認できるかもしれない、そんなパンを焼いていたらしいブーランジェリーがあったのだけど、残念ながら昨年閉店したと昨日知った。
オーナーブーランジェは持病の悪化で店に立てなくなったということだった。
残念なのだけど、これは「自分で答えを見つけなさい」ってことなんだろうな。