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おやすみの日の覚書
まだ暗いうちに家を出た。
電車に揺られているうちに、うっすらと外が明るくなりはじめる。
黄金色の太陽をちらりと見やり、「ぱっとこの光を見たら、朝日か夕日かわかるんだろうか」などと考える。
まるで大きな綿あめのような雲が、背面から照らされて眩しく輝いている。
私は電車に揺られている。
電車の座席はあたたかく、目を閉じると心地よい眠りへと誘われるようだ。
今日はおやすみ、
クライミングに行く日。
いつかは遠くに感じていた、藤沢の先の、茅ヶ崎の先の、小田原の先は、すっかり身近な場所になった。
少しのつもりで目を閉じる。
駅を知らせる声ではっとする。
目の前にいた太陽はすでに遠く左のほうへ行ってしまったし、辺りはすっかり明るくなった。
雲は白と薄いグレーの陰影をもって、軽やかに空に浮かんでいる。
今日はいい日。
山頂近くらしい岩場まで登ると、ほかにだれもいない。
時おり強く吹く風が鳴らす枝のざわめきと、小鳥のさえずりが聞こえるだけで、ただおだやかな時間が流れている。
登ること、技術や強さやあれこれ、ぱっとした楽しいことよりも
そういう場を自分たちで用意する、安全を確保する、知識や方法や経験のほうが実は大事なのだけど、私はまだそういうことをあまり知らない。
教えてもらいながら、時間と場数を重ねながら、自分の頭で考えながら、ひとつひとつ身につけていく、
今年はそういう年にしたいと思ってる。
知らないことがたくさんで、
しかも知らないことっていうのは、
知らなくていいことじゃなくて、
そのなかには知っておかなきゃいけないことたくさんあるんだってことを
実感としてもっていることって
趣味でも仕事でも大事なことだ。
今日は、前に来た時触らせてもらったルートをトライした。
可能性は感じるけど、できるかどうかわからない、そんなことにトライすることって、普段はない。
いつ、どういう状況でもほぼ問題なくできる、そういうことにトライし続ける、
それが日々の暮らしに必要なことなのであって、
できるかどうかわからないような不安定なことが優遇されるわけない。
でも、だからこそきっと、
できるかどうかわからないことに向かって、日々研鑽して、時おり出来たり、出来ないけど一歩進んだり、
そういうことが気持ちを揺さぶるんだと思う。
そして、そうやって生きていると、失敗に心折られることなくトライしつづける人になる。
それもまた、すごく大事なことなんだ。