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変わりつづける、ということも
変わらない、ということも
同じように心を惹きつけるものらしい。
もうなくなってしまったイタリア料理店、1980年からやってた小さなお店。
むかしはセモリナ粉があまり入らなかったから、小麦粉で手打ちパスタを作ってたらしかった。
セモリナ粉が入るようになってからも、「これが好きなお客さんがいるから」と、2000年に入ってもなお、小麦粉でつくっていたそうだ。
むかし、とある雑誌に「街に愛される老舗レストラン」として紹介されていて、それをみてずっと行きたくて、お店を開業するまえに一度、予約して行ったことがある。
お店にはいったら、「予約することもないのに〜〜」というくらいの、その地域に根付いた、ご夫婦ふたりでやっている素朴な店だった。
もうちょっとこうしたら、
もうちょっとああしたら、
というのをはねのけてきたような
飾り気のない、ほんとに素朴な料理店だった。
きっと、むかーし
パスタがパスタでなく、スパゲティだったころからこうだったんだろうな。
なんてことを考えながら、会話をし、料理をいただいた。
そして、お店が落ち着いたらも一度行こう、と思っていたらなくなっていた。
ご夫婦もかなり高齢になっていたし、ビルの建て替えのタイミングで、やめるってことになったらしかった。
あんなお店はもうないんだろうか
いや、あるけど気づかないくらいにその土地に馴染んでいて、見えていないのか
わざわざ、電車を乗り継いで食べにいく、
というのではないけど
近くにあったらとてもいい。
華やかさはないけど、「ちょっと、おいしいごはん食べにいこうか」って気軽に足を運べる、
そんなお店があったらいい。
たとえば
週末のランチには、向かいのマンションに住んでる、寝癖をつけた男子がお腹をすかせて入ってくる。
たとえば
両親が上京してきたから、みんなでなごやかにごはん。
たとえば
今日は友だちや子供たちと、家でホームパーティするから料理やおそうざいを買っていく。
たとえば....
そういう月日、そういう年月をかさねて
かわらない、その変わらなさが落ち着く、そういうお店を作れたらいいな。
あのイタリア料理店に行った時、たしかにそう思った、そして今も思ってる。