サイコーな体験の話。
なにかを無理なく続けていくために良いのは習慣化してしまうことなのだけど、
そして、それがなかなかできないことだと言われるのだけど、こと好きなことに関しては自然とできちゃうものだ。
気づいたら毎日やってる。
そんなことはよくある。
逆に、そんな得意なことじゃなくても毎日やってるとできるようになるし、好きになってくる。
そういうこともある。
自分は文章を書くのが得意ではなかったけど、毎日なにかの文章を書くようにしてからはや7年。
いまでは息をするように、無意識のうちに頭の中で筆をとっている🖌
昨日はジムから帰ってきて、自然な流れでパンを焼いた。
こっちは好きでついやってしまうほう....
捏ねておいた生地を冷蔵庫から出して、分割して、複温する。
休みの日だから厨房が暑くなくて、発酵にはちょうどいいな、とか
湯種いりで高加水の生地は、配合と生地温度で扱いが結構変わるな、とか
明日のぶんの生地をつくるのでも、
これくらいの配合で試してみようかな、とか
落ち着いて考えながら手を進められるのが、おやすみのいいところ。
こうして作業を繰り返して、それぞれここだってポイントが決まったら、あとはそれに慣れていけばよく、慣れたら日常の限られた時間の中でも焦らず進めていけるようになる。
こういう作業は好きだ。
土台をかためていく作業。
その土台の固め方から考えて行く作業。
その先にあるもの、目指す形ってなんなのかといえば、
ひとつは「こうしたい」っていうイメージ通りに仕上げられるようになることで、
計算しても、計量しても、温度をはかっても、時間をはかっても、それぞれの要素はすこしずつブレるから、なかなかおなじようにはならない。
おなじようにならないから、ブレそうになったら軸をもどす、
それが自然とできるように、日々同じように見える同じではないことを繰り返しやり続ける。
昨日ときょうのとはちと配合がちがう。
そしてもうひとつは、必要なものすべてを自分の中にとりこんで、
ぱっと目に入ったもの、色、触った感じ、温度、香り、重さ、かたさ、何でもいいんだけど、
どれが自分の中に入ってきても、瞬時に反応して必要な動きができるようにすること。
これは時間をかけて習得する部分もあるから、長くやってる人には敵わないことが多いんだけど、ものすごーーーく考えて考えて試して試して、ってやってると、わりと必要な時間を短縮できる。
そんな気がする。
ひとつできるようになれば楽しいし、
もうひとつわかることが増えると楽しい、
そーしていざという時、限られた時間のなかでビシッと決めることができたら、快感だ 笑
こういうことって、若い頃、仕事を覚える時代を思い出してなんだか懐かしくなってしまう。
そしてまた、まだこういう体験ができるんだなって嬉しくもなる。
しかも、いまではうるさい先輩もいないし。笑
でね、その先にもサイコーな体験が待っている。
そうやってできるようになって、自分がいいなって思うものが作れるようになったとき、
それを作る相手が、自分の好きな人だったら。
それを手にして、その人の時間のなかで、
「ああ、おいしいなー」とか
「元気がでるなー」とか思ってもらえたとして。
自分の気持ちをいれてつくったものと、
その人との時間が融けあう、そういうことが起こるとしたら。
ほんとにこれってサイコーな出来事だ!
それには、気持ちをいれて作ること、その人の時間と融けあいたいって思う人がいること、作ったものが商品として求めてもらえること、どれが欠けても体験できない。
お店をつくって、
料理をつくってきて、
お菓子やパンをつくるようになって、
そういう体験をすることができたから、
もう望むものはない。笑
お菓子を買ってもらったり
食べにきてもらったり
パーティの食事を頼んでもらったり
パンを買いだめしてもらったり。笑
あー、お店をやるとか、自分だけのものを作り出すとかっていうのの醍醐味はこれなのか、って感動してしまった。
あとはこの先もおなじようにやっていくだけだ、おばーちゃんになるまで。