電車の中でふと思い出す
通勤電車の中で座れたときには、ふと思い出すことがあります。
立っているときには余裕がないのですが、座ってホッとすると思い出します。
故郷のことです。
私の故郷は静岡の東部です。
都会を走る電車の中では、富士山を見ることができないのですが、私の脳裏には富士山が焼き付いています。
故郷を離れて40年近く経ちます。
故郷=富士山なのです。
故郷を離れてから、いろいろな場所に住みました。
数えたら10回引っ越しをしていました。
独りで故郷を離れて、紆余曲折あり、最期は独りになりそうです。
ガムシャラに生きてきました。
61歳の今までよく生きてきたと思います。
SNSで故郷の幼馴染と繋がっています。
還暦を過ぎても働いている人がほとんどです。
定年退職した後に、新しいことに挑戦している人が多いです。
少なくとも私と交流している幼馴染は皆さんまだ働いています。
親父が70歳で心筋梗塞で突然死しました。
親父と私はよく似ていると言われてきました。
だから私は親父の死んだ歳を意識するようになりました。
死を意識すると、生きる意味が変わってきます。
人生のラストスパートで、自分の人生に意味づけするようになりました。
それは、自分の人生が有意義であったと信じたいからです。
自分の人生で一貫したものは何だったのだろうか?
それを考えるようになりました。
死ぬときに、「自分の人生は良かった」と思いたいからです。
財産や地位や名誉は、死んだらお墓に持っていけません。
私は墓は作らずに散骨してもらいたいと思っています。
遺影だけは、友人の画家に依頼して描いてもらっています。
私が死んだら次男に遺影だけを渡します。
自宅に、祖父と祖母の位牌が入った小さな仏壇があります。
その仏壇を開けて、祖父と祖母に感謝の気持ちを伝えます。
写真はAIで作成しました。私の写真ではありません。