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会うのが最後になるかもしれない

42年前の19歳と20歳のときに横浜で新聞奨学生で浪人をしていました。

高校卒業と同時に家出同然で静岡の実家を出ました。

両親とは不仲で、実家にいるのが嫌だったからです。

国立大学にしか進学させないと言われ、合格できなかったので家を出ました。

新聞奨学生に応募して、横浜の小さな新聞販売店に配属されました。

22歳の専業の男性、22歳の神奈川大学の4年生、私と同じ歳の浪人生と、私の4人で配達をしていました。

そのときの22歳の専業の方とは、それからずっと交流をしていました。

彼の結婚式の司会も頼まれました。

その彼から何年かぶりにLINEが来ました。

当時の新聞販売店の店主が、大病を患ったということでした。

そして、店主が東京から愛媛に引っ越すので、最後に会わないかという連絡でした。

42年前のことが頭に浮かんできました。

新聞配達と勉強の両立はできませんでした。

配達や集金で疲れてしまって、予備校にも行かなくなり、勉強から遠ざかっていました。

結局、夜は麻雀の日々になりました。

堕落した生活になりました。

私にとって黒歴史だと思います。

2年間そんな生活を続けたのですが、人生を軌道修正するために、3年目に静岡の実家に戻り、塾の講師のアルバイトを続けながら、国立大学に合格することができました。

新聞販売店の店主は、横浜の新聞販売店の経営を諦め、浅草で蕎麦屋の雇われ店長になりました。その後、介護の仕事に転職をして、現在に至ります。

現在、

店主だった方は77歳。

私は61歳。

LINEで連絡をくれた専業の先輩は64歳。

店主だった方は、後期高齢者です。

副腎と腎臓に腫瘍が見つかって、手術が必要だそうです。

店主の奥さんは10年前に亡くなりました。

次女が愛媛にいるので、愛媛に引っ越すそうです。

だから、これが最後に会うチャンスになります。

正直言って会うかどうかを迷いました。

店主はギャンブル好きで、借金をしていました。

模範的な人間ではありません。

しかし、私の青春の2年間を一緒に過ごした人です。

迷いに迷って会うことにしました。

どんな方でもお世話になったことには変わりないですから。

2年間の新聞配達は、将来が見えない真っ暗闇の中で、1人で必死にもがいていました。

心が強くなったと思います。

1人で生きていける自信が付きました。

ギャンブル好きの店主は、私の反面教師だったかもしれません。

だから感謝すべきです。

明後日の日曜日に上野で会います。

今の私があるのは彼のおかげでもあるからです。

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