会っておきたい人(1)
38年前に家庭教師をした人がいます。
私が大学3年生のときのことです。
彼は15歳の中学3年生の男子でした。
その頃はインターネットも普及していなかったので、大型スーパーの掲示板に「家庭教師やります」と書いた紙を貼りました。
下宿に電話がかかってきて家庭教師を始めることにしました。
彼の3歳下の小学校6年生の妹もいましたので一緒に教えることにしました。
大きな農家でした。
祖父母が農家で、父親が宅配便の運転手、母親が洋品店の店員さんでした。
一生懸命やっていたら、部屋が余っているから住んでいいよとも言われました。
彼は、正直言って、県立高校に行ける学力はありませんでした。
私は、少しでも学力を上げるために必死でした。
週に2日通いました。
彼は、学力が低くても、気遣いができる男の子でした。
だから放っておけないのでした。
私は年末年始に実家に帰省することは無かったので、正月も自分の部屋に彼を呼んで勉強を教えていました。
私の下宿は家賃が月1,3000円の4畳半1間でした。
トイレも風呂も共同でした。
暖房器具が小さな電気ストーブしかありませんでした。
すると、彼の祖父が使っていない石油ストーブを持って来てくれました。
おせち料理も持って来てくれました。
頑張ったのですが、残念ながら県立高校に合格することはできず、私立の男子校に進学することになりました。
本当に申し訳なく思いました。
私が大学を卒業してからも年賀状のやり取りは続きました。
しばらくして彼のご両親が離婚することになりました。
彼は母親と一緒に住むことになりました。
妹もとても素直で優しい女の子だったので、高校を卒業後、一流企業の子会社に就職して、親会社の男性と結婚して、海外赴任に帯同していきました。
私は彼にずっと申し訳ないという気持ちがありました。
自分の教え方がもっと上手だったら県立高校の合格させられたのにと思っていました。
そのうち携帯電話が普及し、スマートフォンになったところで、LINEやInstagramで彼と繋がることができました。
彼は、現在53歳です。
建設現場の職人だそうです。
独身です。
母親と同居しているそうです。
責任感が強い男なので年老いた母親の面倒を見ていると思います。
ときおりInstagramでフィットネスジムの様子をアップしています。
元気な姿で安心しています。
彼と最後に会ったのは23年くらい前です。
彼の妹が2人目の子どもを出産したときに、私の自宅に妹と一緒に遊びに来てくれました、
それ以来会っていないです。
私は人生の終盤戦になって、彼に会いたいと思うようになりました。
彼に謝りたいと思います。
LINEで連絡したらすぐに返事が来ました。
「先生、元気ですか?」
中学生のときと同じように、私を気遣う文章が続きました。
車で1時間ほどの距離に住んでいるので、会って私の心の奥にしまってある言葉を話したいと思います。
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