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頑張らなくてもよくなった受験生

都内の電車で受験生を見かけるようになった。

大学受験の場合には、地方から出てきた受験生も多い。

私も40年前には静岡の片田舎から出てきた大学の受験生であった。

スマホがあるわけではないので右も左も分からなかった。

人込みに圧倒されていた。

歩きながら道表示の看板を探していた。

駅名も分からない。

東京の日暮里は「ひぐれさと」と読んでいた。

横浜の関内は「せきうち」と読んで、駅員さんに訂正された。

当時は、受験生の数が多く、大学が少なかった。

受験地獄と呼ばれていた。

静岡の新聞には、大学の合格者の氏名が掲載された。

個人情報漏洩の最たるものである。

誰がどこの大学に合格したかが分かってしまうのである。

そんなことが記事になるほど有名大学へ進学することは名誉なことであった。

大学や短大の受験倍率も掲載されていた。

当時の女子にとっては大学よりも短大の倍率のほうが高かった。

青山学院短大の英文科の倍率は20倍を超えていた。

高校時代に受けた進路指導はとにかく国立大学へ行けだけであった。

私も両親には国立大学にしか行かせないと言われていた。

地方の大学進学率は30%未満であった。

国公立大学へ進学する人はエリートであった。

地元の静岡大学へ進学した人はほとんど地方公務員か先生になっている。

あれから40年が経過した。

今では受験生の数は当時の半分になっている。

短大が大学へ改組されて、大学の数が1.5倍になった。

大学受験が楽になった。

大学へ進学することがエリートの証ではなくなった。

受験生の数と大学入学定員の数が逆転した。

大学を選ばなければ誰でも大学に進学できる時代になった。

奨学金も充実している。

困窮家庭の子どもは給付型奨学金があり授業料が免除になる。

勉強をまったくしていない就職もできないレベルの高校生が、お金がなくても大学に進学できるようになっている。

Fラン大学の学生のレベルは、地方の教育困難校の生徒よりも低い。

少子化の中で大学は、総合型選抜や学校推薦型選抜で学生を確保するようになった。

年内で受験が終わっている。

年が明けての学力を競う一般選抜の受験生が激減している。

眠い目をこすりながら夜中まで勉強をする受験生は激減している?

高校も推薦入試、大学も推薦入試で入った学生が、会社に入って初めて社会の厳しさを知る。

そして耐えられなくて会社を辞める。

ストレス耐性がない若者が量産されて、日本の社会が衰退していく。

私は、資源がない日本の資源は人だと思っている。

「ゆとり」「ワークライフバランス」「ハラスメント」・・・

そんな言葉を盾に頑張らない人が増えている。

日本の衰退は日本人が自ら作っていると思う。

日本の衰退を止めるには、頑張る日本人を増やすしかないと思う。

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