【ネタバレ】サイケデリック・カレイドスコープ【デビルマンcrybabyレビュー2】
デビルマンcrybabyの雑感としてレビュー書きましたが、書いている内にあれもこれも気になって、書きたくなって、でも全部盛り込むのって、無理あるね?となりましたので、蛇足かもしれませんが、つらつらと書いてみようと思います。
【ネタバレあり】【デビルマンcrybabyレビュー】※雑感はこちら
まずは、デビルマンcrybabyのアイコンにもなっているサイコジェニーについて。
彼女の存在がこの物語の中でもう一つの鍵となるのでは、と思っています。
それは、飛鳥了は果たして人間のままで無意識的にサタンとしての行動を起こしたのか?という疑問から始まりました。
サタンとしての記憶は固く封印されていた事、不動明の覚醒の場となったサバトでの演出、視覚効果はサイコジェニーの能力が発揮されたものと同じように見える事、そして飛鳥了が殺戮と補食本能しかないと評したはずの悪魔たちはひとつの組織としてサバトの証拠隠滅を行うなど知性を見せながら、みずからの復権を目指している事。
その一つ一つから仮説を組んでいくと飛鳥了はサタンへの覚醒を経ずに、人間としての生き方も可能性としてあった、という結論に行き着きます。
悪魔たちから神のような存在として見られているサタンの復活こそ、悪魔の復権の象徴足り得ると考え、サイコジェニーの能力によってその固く閉ざされた封印を解こうと試みたのではないかと。
そして、各地で悪魔、もしくはデビルマン化した人類が現れたのもサイコジェニーの能力によるものではないか、と。
時代設定を現代にしたことで、人類側の持つ弱さ、悪意の広がりといった部分でネットワークなどの利用による広がりなど正当性のある描写がなされており、それだけでも個人的には満足なのですが、人の中に紛れて生息していた一部悪魔が現代のツールとしてのネットワークを活用しない道理はありません。
漫画版でも悪魔が扮した博士がテレビという媒体を利用して人類に潜む悪魔の驚異について扇動を行いますが、crybabyでもカイムが監視カメラの映像を閲覧している事、牧村太郎が不動明の検索履歴を閲覧する事によりサバトの映像も見ており、結果として不完全ながらもデビルマン化してしまった事などからも伺えます。
そして、サイコジェニーの行動原理を考察する事でも彼女がcrybabyの中で愛を見せる存在の1つとして見ることが出来ます。
これは、物語のテーマでもある「愛」についても関りが出てきますが、基本的に悪魔の復権という大目的があったものの、基本的な動きはかつてのサタン、飛鳥了への愛があったのではないか、と思えるのです。
飛鳥了は決定的な決裂が起きるまでは人間としてもサタンとしても不動明の生存を望んでいました。
悪魔の復権の象徴としてサタンの復活を望み、そのサタンが悪魔族の勇者であるアモンの容れ物である不動明の生存を望むのにもかかわらず、悪魔の組織としてデビルマンの抹殺を試みています。
もっと言うと、飛鳥了が悪魔の存在を知り、不動明と共に真相を解き明かそうとした行為そのものがサイコジェニーの企みであった可能性もあります。
悪魔の復権を達成するだけであれば不動明の存在は特別の必要かあったわけではないでしょう。
しかし、少年飛鳥了の中には敵性存在から囲まれ、逃げた先で覚えた不動明の存在が強く残っていたのではないか。
それはサイコジェニーが考えるサタンとしての存在に邪魔になったのではないか。
そこで、不動明を悪魔の存在に巻き込み、亡き者とすることでサタンとしての存在を完全なるものに近付けようと試みたのではないかと。
それは、もしかすると一つの所有欲であったのかもしれませんし、最終局面でゼノンの粛清を行った事からも、サタンの側近としてのサイコジェニーが唯一の存在として傍にいる事を望んだ結果かもしれません。
それを愛と呼ぶのかどうかはcrybabyを観た方それぞれが答えを持つものかと思いますが、辻褄が合う様な気がしています。
結果として、サイコジェニーという存在はcrybabyの中で随所にその姿を出しており、準主役として申し分のなく、そのビジュアルの印象だけでサムネイルに使われたのではないと言うことが出来ると思います。
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