【雑感】サムライブルーの勝利と敗北
さて、待ち望んでいた五百藏容さんの「砕かれたハリルホジッチ・プラン」に続くワールドカップ総括本が発売されました。
ワールドカップを巡る議論が飽和してきた中でそれを詳細に分析し、ワールドカップにおいてサッカー日本代表が表現できたものとはなんだったのか、そして表出した大きな課題とは、というこれまでの日本代表を辿りながら一つの文脈としてこの「サムライブルーの勝利と敗北」とセットで読む事は非常に大きい意味を持つものと思います。
この2書によって炙り出されたもの、日本が自らの選手としての特性、組織的特性を定義してきた中で、それが果たして世界で行われてきた潮流とどのような距離を持つものであるのか、そして今回の日本代表の活躍が持続可能なモノなのであるかに切り込んだ必須図書かと思います。
詳細や結論については是非とも本書を読んで頂くとして、1周目を読了した時点での自分の雑感を記しておこうと思います。
まず、日本のワールドカップが終わった段階で叫ばれていた「属人的」という言葉。
この記事が影響したかどうかは伺う事は出来ませんが、ワールドカップ後、森保新監督の就任記者会見で関塚技術委員長と田嶋会長が行ったプレゼン、総括(らしきもの)で「属人的」ではなく「組織的に」戦った結果であると反論(らしきもの)が行われていました。
時系列的にそこを受けての捉え方となってしまいますが、本書はワールドカップにおける日本代表の組織は「属人性が強い」と表現されており、「属人的論争」への反論に対する反論として機能しているのかな、とも思います。(もちろん、五百藏さんのツイでも当初から言及されていたはずですので論の補強、という方が正しいとは思いますが)
それは、日本代表に個人に左右されない明確な戦術的基盤が存在したかどうかを判断基準に、論理的に納得できるものであった、と自分は思う事の出来る内容でした。
周知の通り、ワールドカップ2か月前に行われたおおよそ無謀とも思える解任劇、応急処置的(田嶋会長にとってはそうではなかった可能性が示唆されていますが)に就任が決まった西野朗氏の言動から判断できる明らかに足りない準備期間、追い出すかのような解任劇から想像されるハリルホジッチの戦術からの離脱といった要素が見られました。
その状況を鑑みて、さらに本書やワールドカップ中、ワールドカップ後で様々に語られている内容を振り返ってみると「属人的」であったかどうかの判断基準がどうもJFAと我々の中でズレているのではないか、という思いを抱きました。
一般的に語られている「日本人はフィジカルに代表される『個の力』が足りない」「日本人は俊敏性・勤勉性に優位を持つ」「日本は組織力に優れる」といった内容が果たしてワールドカップで見る事の出来た現象と突き合わせてみて果たして正解だったのか。
それは本書を読了頂ければ自ずと分かる事と思います。
確かに、本書で語られている数的偏差を各人の努力(すなわち過剰な運動量)でカバーし、辛うじて機能させてきたことは「組織・グループの為に身を粉にして働く」という意味では組織への帰属を強く感じさせますし、組織への貢献という側面からすると「組織的」と呼ぶ事も不可能ではなく、「個人」より「組織」を優先している為にそれは個人に委ね、結果を押し付ける様な「属人的」とは呼ばない、という事も出来るでしょう。
しかし、それは「組織」を「システム」として見ない、あまりにも日本的なメンタリティと呼ぶべきもので、世界と伍する為にそれだけで良いのか、そこが生命線で良いのか、という問題が出てきます。
事実、本書で露わになった通り「組織の構築」という面においてグループリーグで対戦した3か国に始まり、最終的にベルギーが表現したシステマチックな振る舞いは日本と比較して組織力が高度であることを示しましたし、「組織力において優位」である証拠はどこにも見当たらない事が分かります。
「個の力が足りない」という論についても一部ではありますが大迫選手や昌子選手、柴崎選手が見せた局面でのデュエルでの振る舞いや乾選手のゴールシーン、香川選手が発揮したスキルを見れば個の力が足りないわけではない、発揮の仕方によっては十分に立ち回れることを表現してくれました。
日本人が自らを定義する様々な言説を図らずも否定する現象が現れてきた中で、果たして今回のワールドカップに臨んだ日本代表はどの様にチームを構築していったのか、その過程を紐解いていく中で本書が「属人性が強い」と評した日本代表と、世界が戦術的グローバリゼーションの中で普遍化してきた戦術をベースにクラブチームほど組織の構築に時間をかける事が出来ないナショナルチームにおいても戦術的に復元性や再現性を意図する事が出来るチームとの間に、どれ程の距離が離れているかを、本書を読んでそれぞれが想像してみて欲しいと思います。
表紙裏に書かれていた「日本サッカーの未来についての議論は、今この一冊から始まります」という言葉、そのままに。
本書が日本サッカーの未来への礎となり、様々な論が溢れ出てくる様な社会となる事を祈って。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?