親の不仲と早期離別と虐待と少年ボ〇イ
こんにちは。
今回は私の幼少期について書いて行きます。
不幸話みたいな内容ですので、ご自身のトラウマにより傷つく方がいらっしゃるかも知れませんが、これは30年以上も昔の話ですので、生ぬるい目で読んで頂けましたら幸いです。
私が物心が付いた時には既に両親の仲は悪く、私にとってそれは恐怖でした。それ故に私は父が苦手で、お母さん子だったと思います。
小学1年生のある日、突然母がいなくなりました。離婚でした。
母親はその後再婚したようですが、私は父親に連れられ転校、引っ越しし、父方の祖父母の家に預けられました。
それから虐待の日々が始まりました。
祖父母からすると、自分の息子を捨てた女(母)の子(私)が憎かったのでしょうか。
虐待の詳細は多くは書きませんが「お前はバカ女(母親)から捨てられた」などと執拗に説教されたり、真冬に外を走らされて霜焼けやあかぎれで手足が腫れ上がると、何かと理由を付けて殴られたりしていました。(もはや訳が分からない)
回りに対するイメージ操作も狡猾で、私に味方は居ませんでした。
後から分かった事ですが、父親も親戚もこのような虐待は認識していたようなのですが、改めようとする人間は居ませんでした。小学校の先生も私を一方的に問題児扱いしていましたが、その原因が虐待や家庭環境にある事を認めてからは大人しくなりました。登場人物全員クズ。
小学校を卒業して間も無く、とある騒動によりその環境から逃げ出す事が出来ました。
実母の家庭に引き取られる事になり、この地獄の生活が終わり、人並みの生活が出来ると思っていました。
しかし、この幼少期の生活の影響を真に受けるのは、自分が大人になってからでした。
人は幼少期に無意識にたくさんの事を学びながら大人になると思いますが、自分は多くの事を学べないままに大人になったと自覚しています。
この状況が心境へ及ぼす影響は大きくて、障害や生き難さを引き起こす要因になっていると思っています。
しかし、今から学べる事は学び、もう学べない事は諦めて、その中で自分の器に見合った生活が出来ればそれでいいのかなと思っています。
現在はそんな感じでございます。
それにしても、こうして改めて昔を思い出していたら大変イライラしました。
とりあえずあの頃の連中はその頭頂部をヴィブラスラップで1発ずつ思い切り殴らせて欲しいと思いましたが、誰が何処で何しているかも知らんし、もうどうでも良いかな。
余談ですが「エキセントリック少年ボウイ」のテーマという曲はご存じでしょうか。
私はこの曲中の「親父の顔は2度と見たくない」というセリフが好きで、今でもこの曲を口ずさまずにはいられません。(だから何だ)
読んで下さった方へ。
本文中にお見苦しい内容や表現が含まれていた事をお詫び致します。
最後までお読み下さいまして有難うございました。