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2月中旬の読書メモ エコノミックアニマル
貧富の格差がどうしても許せず、資本家と雇用契約を結ぶことが出来ない。そのまま就職活動をせずに大学卒業を控えている。どうしたらいいのか分からない。陳腐な言葉で言うと、生きづらい。本当に世界を変えたい。本当に無力だ。
2/20追記 アクシデントで大学卒業が1年延びた。フリーターで本当に良かった。
moon LOVE de LIC
ずっと気になっていたゲーム。1997年発売!?すごすぎ。
RPGという概念が誕生してから何年目か知らないが、芸術的な面からみても見事なカウンターだろう。
しかも、ただ戦闘システム等へのアンチテーゼに終始せず、メタ構造も作りこまれており、現在でも通用する面白さだった。
欠点はほかの人も言及していることだが、サブクエストの不親切な設計だ。一応メインクエストについてはヒントがちりばめられているが、パーフェクトクリアしようとすると、攻略サイトなしではかなーり厳しかった。
別件だが、クリア後の世界を自由にやりこめるタイプのRPGっていつが初出なんだろう。そういうの好きなんだよね。
共産党宣言 (マルクスフォービギナー) 浜林正夫解説 村田陽一訳
マルクスとエンゲルスによる超有名な思想書 共産党宣言
実際に共産党という名前の政党が現れたのは、この本が出版されただいぶ後らしい。
産業革命あたりに資本家が大きな力を持ち出し、ブルジョアジーが貴族の封建社会に取って代わった。
現代の価値観ではなんとなく、貴族と奴隷、殿様と百姓という関係性よりは今の資本家ー賃労働者という方がマシに思える。なぜだろうか。
奴隷は働いても貴族になれない。百姓に関しては、豊臣のような例外があるけれどたいていの場合はずっと百姓だ。
徳川幕府の方針として、”百姓は死なぬよう、生きぬよう”ということで余剰財産を蓄えないように搾取することを徹底していた。
しかし現代のサラリーマンは、脱サラして起業すれば非常に低い確率で資本家になれる。高給取りなら働きつつ不動産を手に入れて地代家賃をせしめることも可能だろう。
このように、賃労働者には夢が与えられている。頑張ったり、運が良ければブルジョアもどきになれるのだ。この可能性がある限り、人は資本主義から降りることはできない。球が出まくっている人の横で筐体から離れられないパチンコ中毒者だ。
でも、たいていの場合はブルジョアもどきにしかなれない。資本は増えれば増えるほど力を増す性質を持つため、三井・住友財閥などのコンツェルンや楽天・伊藤忠などのコングロマリットに勝つことはできない。
格差は広がり続ける。封建社会では階級を飛び越えることが出来ない代わりに、その生活水準は一定であった。資本主義では困窮がとどまることを知らず、搾取する側の欲望もとまってくれない。
マルクス・エンゲルスはなにも道徳的な面で資本主義を批判するのではなく、その持続不可能性を批判している。
といっても、資本主義を含む階級社会から、共産主義への移行には道徳的・宗教的な壁があることにも触れている。家庭教育の廃止、家族制度の廃止などは、そのワード自体のもつ響きが我々の道徳を揺さぶる。家族愛などを否定するものになるからだ。しかし、貧困層の子どもからすると、子どもに教育資金をつぎ込んでいる富裕層・中間層はどう考えても不平等だ。自分の子どもにも富裕層になってほしいという欲望、自分の一族の繁栄・階級の再生産のみを考えて、他者とその子供から搾取することは厭わない。これが家族制度の弊害の部分だ。
変化を嫌うのは現状で得をしている人だけだ。だからこそ、今不満を抱えている人が半ば自分勝手にでも変革を求める必要がある。安定した地位についてから保守を唱えるのは卑劣な利確行為だ。ひとなみ以上の金銭を稼ぐ人はみな一様に加害者であり、エッセンシャルワーカーから金銭を掠め取る盗賊であることを忘れてはならない。