5月上旬 私のヘングインになってくれ
吟じます
近ごろ官能的な想念が夏の霧のように生ぬるく絡んでくる。こういったことは定期的におこるので発情期と呼んでいたのだが、なんだか頻度が上がってきている気がする。このままでは発狂の恐れがある。一方で現実世界においては全くと言っていいほど無欲だ。性交渉は仕事柄平均よりもかなり多いと思うのだが、それによって本質的な欲求が満たされるようなことはない。妄想として湧き上がる情動とは全然別物なのかもしれない。とにかく自分はスケベな夢に出てくるインモラルな雰囲気が大好きなのだが、覚醒状態において最も近いのは酩酊状態かもしれない。夢は常に暑く曇った夜で人通りのない街が舞台だ。ド田舎の山奥で育ったことが影響したのか、ネオン街やブレードランナーに出てくる猥雑なサイバーパンクな風景など、いわゆる不夜城と呼ばれる街並みが大好きだ。でも現実の歌舞伎町などの歓楽街は人目が気になって全然酩酊できない。夢の中だと人がいないというのもあって性的な昂りに熱中できる。これは私がセクシュアルな概念を秘密的な要素と結び付けて考えていることを示唆しているのかもしれない。そういった欲望が自分の中だけで完結している気がする。エロスは客体化を前提とするとはよく聞くが、それにしては自分は他者への興味がなさすぎる。
誰か私のヘングインになってくれ
そんな変態的な自己完結型の情動とはまた別で、他者の書き上げた創作物も大好きだ。特にモチーフとして好きなのは、思春期ごろの少年~二十代前半の可愛い青年を描いたものだ。(こういうのって文章にするだけでも駄目なんでしたっけ??ワタクシ、現実の未成年には一切興味を抱いたことはありませんし、守るべき国の宝だと考えております。共にこの國の楯となりましょう。)去年に読んだ三島由紀夫の殉教、仮面の告白の近江とのワンカット、川端康成の少年は自分の中でトップ3に胸キュンだった。こうした恋愛物語に心躍らせる一方で、現実世界における自らの処遇については全く期待できない。上京したばかりの頃は世界の広さに圧倒されてヘングインを探していたのだが、どうも失敗を重ねすぎたようで他者に対して何かときめきを感じることはなくなってしまった。元々家庭を築く必要もそのつもりもなかったので困りはしないのだが、名曲に触れると作曲したくなるのと同じで恋愛物語を読むと憧れの気持ちがふつふつと湧いて出る。しかしこれが正投影でないことは明らかだ。恋愛物語を読んで昂った意識は、恋愛物語を創作することで鎮めるしかないのだから。