告解と撃壌 (6月下旬)

にわか雨を織り交ぜた蒸し暑い日が続きますね。
アウトドアな趣味を持ち合わせていない身としては、通勤と洗濯だけが悩みです。
次に小雨が降ったら、植物園に出かけようと思います。
雨を浴びる花の姿が好きなのに、それを夢想するのは決まって晴れた日です。


ドパモク(ドーパミン目的)のお勉強

 漢字検定に引き続き、今週はカラーコーディネーターという試験を受験した。これまた半年前からゆったりと勉強していた為、すんなりとパスすることができた。オンラインでの試験だったのだが、受験終了後に採点ボタンが現れて、クリックすると合格とのこと。スピーディで効率的だと思う反面、この報酬システムはギャンブルに似ていると感じた。

 高校時代から将来への不安に満ちていた私は資格試験中毒で、役にも立たない資格試験を受けるメリットを2つ享受していた。ひとつは、勉強中は何か有益なことに時間を割いている気がして安息の効果があること。ふたつめは、試験結果のハガキを開封するときのドーパミン目的だった。
 ドパモクとはいえそれらの合格通知は試験後ふたつきほど経過したあとなので、その不健全さを自覚することはなかった。むしろスポーツで勝利を収めたような爽快感を味わっていた。

 しかし試験終了から数秒で結果を確認できるとなると、ギャンブルとの類似性が目立ってくる。それまでは曲りなりにもカラーコーディネーターの試験を受けることについて妥当性を信じていたのだが、このドパモクの自覚は冷や水を浴びせられる気分だった。勉強した内容は確実に役立つものだが、試験を受ける必要はあったのか?それは他者への誇示と自己満足が原動力だったのではないか?受験料5500円高くないか?試験後のクールダウンとともにそういった反省に至る。
 試験制度への疑問は残るが、勉強したい事柄はまだまだ多い。7月からは簿記と英語について勉強してみようと思う。簿記については言わずもがな、英語についても多種多様な試験が存在する。一通り勉強しても自分の英語力に自信が持てなかった場合は受験しようと考えている。どこまでも他者からのお墨付きに甘えてしまう性分だ。

後から気付いたよ。精神の機能不全

 最近すこしだけお仕事をいただいているIT系の会社から、懇親会のお誘いがあった。いままではWEB上でやり取りをしたり、オンラインミーティングでおしゃべりをしたりだったのだが、とうとう直接会って食事をする運びとなった。

 この会社の人たちだが、自分が今まで関わってきた人種とはかなり異なる。他人を抽象化して語るのは失礼にあたるが、自分の思考を言語化することを許してほしい。彼らは高度な知性と反社会性を共有している。自分が今まで関わってきた人種というものを、知性と社会性のパラメータに注目してみてみると、この組み合わせはレアだった。
 関わる人種というのは仕事でない限り所属するコミュニティによると思われる。つまり一般的な分布・所属するコミュニティの分布・仕事でかかわる対象コミュニティの分布の重ね合わせが実分布となる。一般的な分布はその時代の当人の活動範囲に生活する人間の分布で、きっと正規分布だろうか。仕事でかかわるコミュニティは当人とは独立だ。もちろんどの職業を選ぶかという選択の面で関与しているが。一番私の内面を反映するのは所属コミュニティの分布だろう。

 これは仮説だが、自分に似た属性のコミュニティに所属するし、逆に人は所属コミュニティの成員に似ていくと思う。そこから逆算して、私は一般的な知性と一般的な社会性を持つと思われる。そんな自分がIT企業の役員というレアな人種と話す機会はそうないため、この懇親会は良い刺激となった。 
 彼らは人生の軌跡が非凡で、いろいろな人と関わっているため頑固でない気がする。そう考えた私は自分の秘密というか、公にしがたい部分を告白した。それに対する反応は特段問題ではなく、秘密を打ち明けたことこそが重要だった。家路についてから、思考が羽毛のように閃いて落ち着かないのだ。

 重要な思想の秘密について、親密な人に打ち明ける話はよく聞く。それは非常に勇気がいることだし、割と丁半博打だ。それを聞かされた方にも緊張が走り相応の振る舞いが求められるし、もし拒絶した場合は告解者は落ち込み、聴者は地獄に落ちる。よって告解は親近者に行うべきでないというのが私の考えだ。もっとどうでもよい存在、地獄に落ちてもいいような程よい他人にこそ内心を告白すべきだ。
 ここ最近は豊かな精神生活を営んできたつもりだっただけに、この経験はショックだった。自分の心って全然柔軟じゃなかったのか。結局人に言えないところがあると、そこはアンタッチャブルとなり心のスペースが凝り固まるのだろう。この固まった地面を告解でもって耕し、豊かな土壌に変える儀式が必要だ。

3体2 黒暗森林 上 劉慈欣

 3体の2黒暗森林 文庫版の上を読んだ。
 めっちゃ面白い。一冊目はなんだか全部やってるな~って感想で、そりゃ面白いよね。みたいな態度だったんだけど2冊目はすごい概念が出てきた。章立てにもなってる面壁者、調べると面壁九年という言葉があるらしい。中国禅宗の始祖達磨の伝説。とにかくちょっとこれはオリジナルすぎる!SFはルール無用な分、発想力勝負なところがあるが、これはすごい。
 あとは普通に心情描写もいい感じだ。1冊目は風呂敷を広げるのに全力だったが、この巻はある程度状況説明が終わったうえでルオジーのたどる精神的軌跡に重点を置いてくれている。読み終わってすぐに紀伊国屋書店へ向かい、続編を買った。

やまいだれの歌 西村賢太

 西村賢太の私小説。訃報の際に苦役列車を読んだきりだった。苦役列車の解説が石原慎太郎の檄文だったことも相まって強烈な印象を残した小説だった。
 数か月前、私小説を書きたい気分が高まったことがある。そのとき浮かんだのが西村賢太と石原慎太郎だ。もう一冊ほど参考に読んでみて空気感をつかもうと思った。

 主人公は苦役列車ののちの北町貫多で、19歳のかなり若い年代を描いている。ワードチョイスが美しい。表象している内容は汚いが、ワードチョイスは美しい。現代ではもう使われていない単語が並び、助詞も尋常でない。この手法は詩的な効果があるだろう。
 貫多が一同に嫌われるに至った大きなイベントは描かれているが、その他の日常でうっすらと嫌われていく過程が描かれていないのは結構怖い。対人関係以外の文章への執着などは知的な印象を与えるため、貫多をただの馬鹿者として自己から分離するのが難しくなっている。酒や性欲に呑まれたときの振る舞いは一線を越えているが、その際の思考原理は筋が通っており、プライドの高い人なら共感してしまうだろう。もちろん常人は理性によってこれを抑えるのだが。
 酒癖の悪さや厭人癖は、似たような奴を数年に一人くらいのペースで見かけるのがリアルだ。

星の王子さま サン=テグジュペリ

 たまたま見かけた可愛い装丁の文庫を手に取って購入。名が知れた名作らしいが、全く内容を知らなかった。童話だと思っていたが、読んでみるとかなり示唆に富んでいる。頭の固い大人を要素に解体して、皮肉っぽい文章でこき下ろしている。
 王子様とバラが可愛い。新潮の文庫を読んだのだが、ヒツジとカタカナで書かれていたり、こどもっぽい言動がかなりキュートだった。
  サンテグジュペリの生涯を少し調べた。飛行機乗りとして生き、WW2で亡くなったそうだ。三島由紀夫やサンテックスとおなじフランス出身の数学者ガロアの記述の見たときにも感じたが、高い知性や感受性を持つ人間が安息でない死を経験しているという事実が恐ろしく感じてしまう。
 彼らの文章を読んでいると、血の通った人間が深い場所にシミュレートされる。彼らがすでに亡くなっているという事実と符合せず、置いて行かれた気分になる。こんな文章を書ける人間が、すでにこの世から退場しているということ、しかし文章をこの世に残したということ。
 若いと、身近な人の死を何度も経験することはない。しかし古典を読むということは、それと似たような経験なのかもしれない。

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